上田紀行:人生の<逃げ場>

 

 評価:6点

 

・自分の人生をどのように複線化していくか

・「人の目」を気にするのではなく、「神の目」を意識する

 →神から見て正しい行いかどうか

・自分が拠り所としている準拠集団と自分との間のズレに気づいたら、今の働き方は自分にはあっていないと素直に認めた方が良い。警告を無視することは自分をさらに追い詰める。

・「できる人」より「魅力的な人」を目指す。

 →利己的ではなく、利他的な考え

・40代くらいから林住期のことを考えておく。いったい自分はどんな生き方がしたいのか

・仏教では「地位や名誉に自分が執着していることが、自分を苦しめている原因である」と考える。自分を苦しめる原因は自分にある。

 →認知の仕方を変えることで苦しみから解放される

出口治明:人生を面白くする本物の教養

 

 評価:7点

 

随分前に読んだ本だけど、うっすら面白かったという記憶は残っている。

復習を兼ねてポイントまとめ。

 

・教養とは生き方の問題

 →ココシャネル「1日に一つくらいの花の名前を覚えることはできる。一つ名前を知れば世界の謎が一つ解けたことになる。人生は楽しく生きることは素晴らしい」

・知識があっても自分の頭で考えないと意味がない

 →腑に落ちるまで自分の頭で考え抜いているかどうか

 →どちらとも言えない、は考え不足

・面白さの源はボキャブラリー

・「今さら遅い」はサボるための言い訳

 →今日の自分が一番若い

・物事を考えるコツ

 →「タテ」時間軸、歴史じく 「ヨコ」空間軸、世界軸で考える

 →定性ではなく、定量で考える

 →物事を考えるにあたっては、本質を把握することが必要=森の全体像を捉えれば、間違える確率が大幅に減少する

・速読は百害あって一利なし

 →読書は人の話を聞くことと同じ

・本探しの7、8割は新聞の書評から

・必要ない付き合いは極力省く

 →人生にとって時間ほど大切なものはない

・人間が将来に備える唯一の方法は、歴史に学ぶこと

・35年ローンは、時代と明らかにミスマッチ

 →ローンは10年までが望ましい(ちきりんのブログより)

 

アルボムッレスマナサーラ:怒らないこと

 

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

 

評価:6点

 

久々のブックレビュー。

尊い話なんだけど、いまいちしっくりこなかった。

 

・「私は間違いだらけ」だとわかると怒らなくなる

・自分は完全ではないし、他人にも決して完全な結果を求めないという思考が、この用の中で我々が落ち着いて生きていける秘訣

・くだらない妄想概念が怒りを作る

・エゴがなければ、怒りはそもそも成り立たない

 →エゴから生じる「私はこれをやるべきだ」「私は偉いのだ」「私を認めてくれなくちゃいけない」というくだらない思考が幸福の大きな妨げになる

・怒るのは、無知な人がすることだ

・何があってもビクともしない心を作る

 →地球のような心を作る。鍬で少しくらい穴を掘られてもビクともしない。

 →空のような心を作る。誰も絵を描くことはできない

 →自分を水晶の玉のようにイメージする

・怒りとは自分の中から生まれるもの

 →解決方法は、毒そのものを抜くこと。「今この瞬間の自分に気づくこと」

 →怒りそのものを観察し、勉強してみる

 →すぐに自分の心を見ること。心を見ることで怒りは消える。

・生きがいにこだわらない

 →何があろうとも拒絶せず。状況を受け入れて楽しむ。仕事があるなら仕事を。仕事が終われば老後を。

・笑いは怒りの正反対。何があろうとも「笑う」と決める。

 

 

もう2月も半ばになった

2月12日。三連休の最終日。

昨日は松山の道後温泉に、ほぼ日帰りに近しい1泊2日の旅行に行って来た。

 

道後温泉は気持ちよかった。

温泉近くの歓楽街、夜中にはストリップ劇場から歓声とタンバリンの音。

その反対のガラス美術館では結婚式が行われていた。

僕らは本館と新館で温泉に浸かり、帰りに気になった素敵な赤のグラスを買った。

店員さんは、おそらく目と耳が若干不自由な方だったけど、とても熱心にこのグラスのことを説明してくれた。

ホテルに向かう市電の中で、妻は地元のお婆ちゃんと話し、僕は近くの酔っ払って大声を出すお爺さんを煙たがった。

 

昼は伊佐爾波神社と湯神社、それから石手寺に行った。

様々な人が祈りを捧げる。

 

1月31日。

僕は管理職試験を終え、プロジェクトのほぼ最終プレゼンを終え、ヤバかった案件2つの最終日を迎えた。

滑り込むように2月に入って、それからあっという間の2週間だった。

 

2月12日。

僕は一人になりたくて、今多摩川の土手に来てこうしてキーを叩いている。

疲れたけど、楽しい。ワクワクすることが、世の中にはまだたくさんある。

色々な人のInstagramを眺めていると、万華鏡のように様々な人生が交差して、この世界を作っていることがわかる。

 

2月14日。

プロジェクトの最終答申と、打ち上げ。

 

2月21日。

プロジェクトのクランクアップ

 

2月28日。

内示通達の予定日。

 

3月3日。

鴻巣ラソンと、その後高崎の家に。

 

人生は続いて、流れていく。

 

そろそろ日が暮れそうだ。明日からまた、何をしようか。

 

英語を勉強したい。

お寺や寺院を回って、御朱印を集めたい。

時間ができたら、また温泉に行きたい。銭湯巡りも再開したい。

走りたい。次のマラソンにエントリーしたい。

久々にMIXも作りたい。

新しい仕事について学ぶために、本を読みたい。宗教や歴史について知りたい。

Instagramにどんどん投稿したい。そして世界中の知らない人と交流したい。このブログも更新したい。

ジム通いと瞑想を習慣にしたい。

 

こんなことを書くために、川に来たわけじゃ無いけど寒くなって来たからぼちぼち帰ろう。

GET POWER

◾️小室哲哉引退について

中学生の頃からずっと尊敬していた小室さんが引退した。

「20年前から枯渇していた」

とも本人が語っていたように、確かに自分自身も小室さんの本当に好きな曲は1998年くらいまでに出尽くしている気がする。

 

それでも、2014年に行ったTMの「QUIT30 HUGE DATA」のライブは最高だったし、2017年に出た小室さんのソロ「JOBS」も良い曲が多くて繰り返し聞いていた。

昨夏のsanctuaryにも小室さんのソロを楽しみに見に行ったものだ。

昔ほど神がかったメロディは無かったものの、それでも音楽活動を続けていることが嬉しかったし、それがずっと続くと思っていた。でも、それは終わってしまった。

 

小室さんの新譜は聞けないが、僕はこれからも小室さんの曲を聞いて人生を過ごすだろう。

 

そんなに僕を魅了し続けて、これだけ衆目を集めてきた人でも、引退会見は全てが枯れ果ててしまっていた。

 

◾️ECDが亡くなった

一昔前から随分と顔色が悪かったけど、あまりにもあっけなく亡くなってしまった。

これだけ才能があり、2015年にもThree wise monkeysという名盤を出した人でも、結局はいなくなってしまう。

 

◾️管理職試験とは

先日より、管理職試験のための模擬面接を行なっている。

自分としては一生懸命答えているんだけど、なかなか評価が厳しい。

「個性がない」「考えが浅い」「主張がない」「答えるんじゃなくて、伝えるんだよ」

とかとか、色々言われるんだけど、そもそも管理職になりたくない自分がどうしても出てしまうんだろう。

考えても考えても、その答えがわからない。

 

◾️Instagramにハマった

これだけ周りでインスタが流行っている訳なので。

僕もちょっと裏アカウント作ってやってみようかと考えた。

 

そしたらこれが、ハマってしまった。

 

やっぱり、文章じゃなくて画像で伝えるってのは重要。

感覚的だし、直感的だし、サクサク読める。

ああ、ツイッターとの違いはこれかと。

こりゃ確かに、インスタは面白いなと。

 

それで僕も試しに、ハッシュタグをつけていくつか投稿してみた。

そしたら、訳のわからない人からいくつかの「いいね」をもらった。

これも楽しい。

ロシアとか韓国とか、言葉が分からなくても画像だから「いいね」は分かる。

なので、文章も英語で書くようにした。

 

◾️生きるエネルギー

んで、色々な芸能人をフォローして、その日常を覗き見してみた。

そしたら、やっぱり、なんというか、「生きるエネルギー」の熱量がすごい。

多分それは、日常のシーンを切り取るのではなくて、写真を通して不特定多数に発信をしようとしているから、だと思うし。そのような生き方をしているからだと思う。

あとは、周りにいる人の多さだったり。居る場所の特殊性だったり。

やっぱり素人とはまるで違うなと。

 

光を放ち続けることが、このような人たちの仕事であれば。

確かに、小室さんもECDも、光を失ってしまった。

 

翻って、僕の管理職試験で「個性がない」だの「伝えるんだよ」だの言われているのは、この文脈からいえば「光が無い」んだと思う。

 

昔、「セルフイメージの高いやつは、何をやっても成功する」と本で読んだことがあるけど。結局、「セルフイメージの高さ=光の強さ」な気がする。

 

◾️人生というステージの主役

僕は正直、これまで色んな舞台に出させてもらうチャンスを得た。本当に運が良かったと思うし、自分は自信が無いながらも、仕事は真面目に取り組んできた。それが理由かもしれない。

 

けど、どんな舞台に上がっても、僕はまだ自信が持てない。恥ずかしがっている、悪口を言われてないかビクビクしている、意見にダメ出しされるのではと口ごもってしまう、失礼をしてしまうかもしれないと不安になる。

 

自分が自信を身に付けられるのはいつなんだ?これを言い続けて、もう20年経つ。

就職もして、それなりに仕事もこなして、結婚もして、友達だっている。

こんなに色々恵まれているのに、まだ自信が無いのは何故なんだ?

ハードルが高すぎるのか、それとも見立てが低すぎるのか。

親からダメだダメだと言われ続けて育ったことが、自信の低さに繋がっているのか。

そんな20年前のことをクヨクヨしながら生きているのか。

 

自信を持とう。光を出そう。

自分は、人生というステージの主人公だ。

 

浅野忠信のインスタ見てたら、やたらハイテンションに「GET POWER」と叫びまくっていたので、上記のようなことをボンヤリと考えた次第です。

2017年振り返らない、2018年以降に思いを馳せる

2017年は、とっくに過ぎた。

自分にとっては、振り返れば、試行錯誤し、もがきながらも霧のかかった道のりを暗中模索で突き進んだ一年だった。

途中途中で、本に救われた。

行動することで道が開けた。

自分の選択に間違いは無かった。

 

もちろん、仕事では反省点もある。

けれど、それで成長できた自分もいる。

 

本当に、2017年は実り多き一年だった。

これは断言できる。

 

2018年は、どんな年になるだろうか。

既に見えている曲がり道もある。

でも何故か、自信はある。

 

2017年に手に入れた自分の武器。

それは、「祈り」と「読書」と「macbook」だ。

なんか、これらがあれば絶対に今年も乗り切れる気がする。

 

加えて、今自分の周囲には、信頼のおける妻と、今は元気になった両親、妻の両親、兄弟、祖父母、友人たちがいる。

家だって、騒音に悩まされてる小さな部屋だけど、そこそこだ。

今の暮らしは、不満も沢山あるけど、幸せに目を向ければ、僕は恵まれている。

 

堂々と、自信を持って生きる。

過去や未来ではなく、今を生きる。

 

 

 

 

 

2018年

2018年1月1日00:20。

この時間は、今しかない。

 

過去に言われたことをくよくよ思い悩んだり、

未来のことに取りとめもない不安を感じたり。

そんな時間は、もったいない。

 

今、ここを、一番気持ちよく、心晴れやかに過ごすことが大切。

 

2018年は、そんな大局観を持った生き方ができるようになりたい。