仕事に向き合う

今日、上司から怒られた。

怒られたというよりも、激励された。

 

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なんのために、A社に行ってるんだ。

自分が大きな武器を持っていることに気づいていないのか。

T社のお前ではなく、A社のお前に言っていることに意味があるんだ。

選抜されて行ってるんだから、その武器を使え。

 

そんな意味でのメールだったのに、その行間が読めないんだったらお前をA社に行かせたのは間違いだった。

そんな奴、いらねぇ。

 

イノベーションするためには、正攻法じゃだめだ。

だから、Sさんじゃなくて俺が部長になったんだ。

俺は、お前に頼んでダメなら、他の手を使う。

と言うか、俺が出て行けば済む話だが、そうはしない。

お前に動いて欲しい。

 

多分、この案件はダメだと思う。

でも、動かないとイノベーションなんておきない。

 

俺は仕事人間だから、一生懸命なやつと仕事がしたい。

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と、こんなことを言われた。

 

なんか、自分としては、本当に久しぶりに心から話ができた気がした。

自分の感情をぶつけて、相手の感情や優しさを感じた。

 

ああ、凄い期待されてんだな。

自分は、客観的に見れば、そのように見られてるんだな。

気づけば目の前のことしか見えてなかったな。

頼られて、自分が動くことに、これだけの価値があるんだな。

 

そして、それを上手く使わないといけないな。

 

今日はいい意味でガツンと来たなぁ。

 

そして自分は一生懸命、仕事しているなぁ。

そのことを恥ずかしく思うことはなくて、熱く仕事すれば良い。

熱いことは恥ずかしくない。

 

とか思った今日でした。

今年最後の春の日

考え事をしたくて、今年2月に書いた記事を見て、多摩川のいつもの場所にやってきた。

2月と違って、風は春のような暖かさ。

東京は23度。

夏に入る直前の、最後の春のような日だ。

 

あの頃から約4ヶ月経った。

随分と、大きな変化があった。

 

職場環境の、大きな変化。

大好きだった、上司の死。

新しく生まれてくる我が子。

 

この金曜日に有休をもらい、本当は奈良に行こうと思っていた。

心身が衰弱し、大仏に力をもらいたかったのだろうか。

結局、空席待ちでも関西行きは叶わず、急遽福岡の実家へ帰った。

 

福岡は雲ひとつない晴天。おまけに、東長寺で大仏にも会えた。

ウェルビー福岡でサウナと5度の水風呂を堪能し、父・母と3人で焼き鳥を食べた。

その時に言われた言葉が、身に沁みた。

「嫌になったら、帰って来れば良い。そんなつもりで仕事をすれば良い。頑張りすぎないことだ。」

 

親だなぁ、と、つくづく思った。

 

僕は、某企業の新規部署の、新任管理職として年初から走り続け、3ヶ月も経たないうちにヘタってきてしまった。

皆が僕に望むことは大きいだろうが、僕もそれに応えることで精一杯だった。

上司と、関係する各社と、部下との間で生活する日々。

 

上の親の言葉は、すごく俯瞰的で、しかしながらすごく優しい。

 

土曜日、福岡と一転して、帰った東京は曇り空。

蒲田の大黒湯でサウナ2セット、その後帰宅して鍋を食べる。

だけど、なんだか心が落ち着かない。

それは先週水曜日の、名古屋出張のせいだ。

瞑想して就寝。

 

日曜日。朝から掃除と洗濯をし、昼ごはんを食べたら一気に眠くなってきて、ソファでとろけるように寝てしまった。

30分おきに「寝すぎた!」と声に出すものの、結果2時間寝ていたらしい。

気づけば昼の4時。

 

その時、妻が一言こう言った。

「別に、今日一日することないんだから、寝てれば良いのに。」

この一言も、身に沁みた。

 

気づかないうちに、自分は時間に、常に追われているんだなと。

 

僕は自転車で家を飛び出し、近所のお寺に向かっていた。

5時から読経が始まるからだ。

4時半からの30分間、僕はお寺の境内で、読経を聞きながら瞑想をした。

木魚の音が、一つ一つ自分の悩みや不安を溶かしていく。

 

多摩川に向かう途中で立ち寄った自転車屋で、空気を入れてもらった。

そしたら、なんとタイヤが外れた状態で今まで乗っていたらしい。

「大事故につながるとこでしたよ」

本当に、運が良かった。

チェーンにオイルをさしてもらって、これまでと雲泥の乗り心地の差。

 

この3日間で、心のネジを緩め、巻き直すことができたかな。

 

5月22日。突然すぎる上司の死。僕は誰にもこの悲しみをぶつけることができず、ただ泣くしかなかったんだけど。

時を同じくして、僕らは新しい命を授かることができた。

人生は、続いていく。

 

そのなかで、僕は晴れた心を持って、拝みながら生きていくしかない。

 

名越康文:毎日トクしている人の秘密

 

毎日トクしている人の秘密 (PHP文庫)
 

 評価:8点

 

名越先生の本は、間違いないです。

 

・「幸せ」の一つの定義として「その人の社会的なミッションを果たしていくことが、それほど億劫ではない状態である」ということ

・不幸よりも、不安が問題

 →人生で一番辛いのは「不安」

 →「不安」とは「怒り」

 →「不安」を消すには「今ここ」に集中すること=まずは5%削減から

・二者択一のキャリアではなく、「大きな地図を描く」こと

 →非常に遠大な時間感覚の中でミッションを実感できる人は、目の前で起こる幸不幸にあまり左右されなくなる

 →瞑想の主たる目的は、「今」を広げていき、大きな時間軸の中に身を置くことにある

 →不安に駆られた行動には客観性がない

・不条理を受け入れ、楽しむ必要がある

→不条理がある=不安になる=予防線を張る、はナンセンス

→この世にあるものは、基本的に全て不条理だから=変化する、諸行無常

→不条理である、ということは不条理ではない(当然と認識すべき)=縁起論

・自由と幸福は相容れない

→なぜなら、自由は一人で感じるものであり、幸福は誰かと分かち合うものだからだ

→幸福とはバーチャルである

・不安であり、不満であり続ける理由は、我々が思想を持っていないということ。

→思想を持つことにより、日々の行動や言動にフィードバックがかかる

上田紀行:人生の<逃げ場>

 

 評価:6点

 

・自分の人生をどのように複線化していくか

・「人の目」を気にするのではなく、「神の目」を意識する

 →神から見て正しい行いかどうか

・自分が拠り所としている準拠集団と自分との間のズレに気づいたら、今の働き方は自分にはあっていないと素直に認めた方が良い。警告を無視することは自分をさらに追い詰める。

・「できる人」より「魅力的な人」を目指す。

 →利己的ではなく、利他的な考え

・40代くらいから林住期のことを考えておく。いったい自分はどんな生き方がしたいのか

・仏教では「地位や名誉に自分が執着していることが、自分を苦しめている原因である」と考える。自分を苦しめる原因は自分にある。

 →認知の仕方を変えることで苦しみから解放される

出口治明:人生を面白くする本物の教養

 

 評価:7点

 

随分前に読んだ本だけど、うっすら面白かったという記憶は残っている。

復習を兼ねてポイントまとめ。

 

・教養とは生き方の問題

 →ココシャネル「1日に一つくらいの花の名前を覚えることはできる。一つ名前を知れば世界の謎が一つ解けたことになる。人生は楽しく生きることは素晴らしい」

・知識があっても自分の頭で考えないと意味がない

 →腑に落ちるまで自分の頭で考え抜いているかどうか

 →どちらとも言えない、は考え不足

・面白さの源はボキャブラリー

・「今さら遅い」はサボるための言い訳

 →今日の自分が一番若い

・物事を考えるコツ

 →「タテ」時間軸、歴史じく 「ヨコ」空間軸、世界軸で考える

 →定性ではなく、定量で考える

 →物事を考えるにあたっては、本質を把握することが必要=森の全体像を捉えれば、間違える確率が大幅に減少する

・速読は百害あって一利なし

 →読書は人の話を聞くことと同じ

・本探しの7、8割は新聞の書評から

・必要ない付き合いは極力省く

 →人生にとって時間ほど大切なものはない

・人間が将来に備える唯一の方法は、歴史に学ぶこと

・35年ローンは、時代と明らかにミスマッチ

 →ローンは10年までが望ましい(ちきりんのブログより)

 

アルボムッレスマナサーラ:怒らないこと

 

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

 

評価:6点

 

久々のブックレビュー。

尊い話なんだけど、いまいちしっくりこなかった。

 

・「私は間違いだらけ」だとわかると怒らなくなる

・自分は完全ではないし、他人にも決して完全な結果を求めないという思考が、この用の中で我々が落ち着いて生きていける秘訣

・くだらない妄想概念が怒りを作る

・エゴがなければ、怒りはそもそも成り立たない

 →エゴから生じる「私はこれをやるべきだ」「私は偉いのだ」「私を認めてくれなくちゃいけない」というくだらない思考が幸福の大きな妨げになる

・怒るのは、無知な人がすることだ

・何があってもビクともしない心を作る

 →地球のような心を作る。鍬で少しくらい穴を掘られてもビクともしない。

 →空のような心を作る。誰も絵を描くことはできない

 →自分を水晶の玉のようにイメージする

・怒りとは自分の中から生まれるもの

 →解決方法は、毒そのものを抜くこと。「今この瞬間の自分に気づくこと」

 →怒りそのものを観察し、勉強してみる

 →すぐに自分の心を見ること。心を見ることで怒りは消える。

・生きがいにこだわらない

 →何があろうとも拒絶せず。状況を受け入れて楽しむ。仕事があるなら仕事を。仕事が終われば老後を。

・笑いは怒りの正反対。何があろうとも「笑う」と決める。

 

 

もう2月も半ばになった

2月12日。三連休の最終日。

昨日は松山の道後温泉に、ほぼ日帰りに近しい1泊2日の旅行に行って来た。

 

道後温泉は気持ちよかった。

温泉近くの歓楽街、夜中にはストリップ劇場から歓声とタンバリンの音。

その反対のガラス美術館では結婚式が行われていた。

僕らは本館と新館で温泉に浸かり、帰りに気になった素敵な赤のグラスを買った。

店員さんは、おそらく目と耳が若干不自由な方だったけど、とても熱心にこのグラスのことを説明してくれた。

ホテルに向かう市電の中で、妻は地元のお婆ちゃんと話し、僕は近くの酔っ払って大声を出すお爺さんを煙たがった。

 

昼は伊佐爾波神社と湯神社、それから石手寺に行った。

様々な人が祈りを捧げる。

 

1月31日。

僕は管理職試験を終え、プロジェクトのほぼ最終プレゼンを終え、ヤバかった案件2つの最終日を迎えた。

滑り込むように2月に入って、それからあっという間の2週間だった。

 

2月12日。

僕は一人になりたくて、今多摩川の土手に来てこうしてキーを叩いている。

疲れたけど、楽しい。ワクワクすることが、世の中にはまだたくさんある。

色々な人のInstagramを眺めていると、万華鏡のように様々な人生が交差して、この世界を作っていることがわかる。

 

2月14日。

プロジェクトの最終答申と、打ち上げ。

 

2月21日。

プロジェクトのクランクアップ

 

2月28日。

内示通達の予定日。

 

3月3日。

鴻巣ラソンと、その後高崎の家に。

 

人生は続いて、流れていく。

 

そろそろ日が暮れそうだ。明日からまた、何をしようか。

 

英語を勉強したい。

お寺や寺院を回って、御朱印を集めたい。

時間ができたら、また温泉に行きたい。銭湯巡りも再開したい。

走りたい。次のマラソンにエントリーしたい。

久々にMIXも作りたい。

新しい仕事について学ぶために、本を読みたい。宗教や歴史について知りたい。

Instagramにどんどん投稿したい。そして世界中の知らない人と交流したい。このブログも更新したい。

ジム通いと瞑想を習慣にしたい。

 

こんなことを書くために、川に来たわけじゃ無いけど寒くなって来たからぼちぼち帰ろう。