考え事をしたくて、今年2月に書いた記事を見て、多摩川のいつもの場所にやってきた。
2月と違って、風は春のような暖かさ。
東京は23度。
夏に入る直前の、最後の春のような日だ。
あの頃から約4ヶ月経った。
随分と、大きな変化があった。
職場環境の、大きな変化。
大好きだった、上司の死。
新しく生まれてくる我が子。
この金曜日に有休をもらい、本当は奈良に行こうと思っていた。
心身が衰弱し、大仏に力をもらいたかったのだろうか。
結局、空席待ちでも関西行きは叶わず、急遽福岡の実家へ帰った。
福岡は雲ひとつない晴天。おまけに、東長寺で大仏にも会えた。
ウェルビー福岡でサウナと5度の水風呂を堪能し、父・母と3人で焼き鳥を食べた。
その時に言われた言葉が、身に沁みた。
「嫌になったら、帰って来れば良い。そんなつもりで仕事をすれば良い。頑張りすぎないことだ。」
親だなぁ、と、つくづく思った。
僕は、某企業の新規部署の、新任管理職として年初から走り続け、3ヶ月も経たないうちにヘタってきてしまった。
皆が僕に望むことは大きいだろうが、僕もそれに応えることで精一杯だった。
上司と、関係する各社と、部下との間で生活する日々。
上の親の言葉は、すごく俯瞰的で、しかしながらすごく優しい。
土曜日、福岡と一転して、帰った東京は曇り空。
蒲田の大黒湯でサウナ2セット、その後帰宅して鍋を食べる。
だけど、なんだか心が落ち着かない。
それは先週水曜日の、名古屋出張のせいだ。
瞑想して就寝。
日曜日。朝から掃除と洗濯をし、昼ごはんを食べたら一気に眠くなってきて、ソファでとろけるように寝てしまった。
30分おきに「寝すぎた!」と声に出すものの、結果2時間寝ていたらしい。
気づけば昼の4時。
その時、妻が一言こう言った。
「別に、今日一日することないんだから、寝てれば良いのに。」
この一言も、身に沁みた。
気づかないうちに、自分は時間に、常に追われているんだなと。
僕は自転車で家を飛び出し、近所のお寺に向かっていた。
5時から読経が始まるからだ。
4時半からの30分間、僕はお寺の境内で、読経を聞きながら瞑想をした。
木魚の音が、一つ一つ自分の悩みや不安を溶かしていく。
多摩川に向かう途中で立ち寄った自転車屋で、空気を入れてもらった。
そしたら、なんとタイヤが外れた状態で今まで乗っていたらしい。
「大事故につながるとこでしたよ」
本当に、運が良かった。
チェーンにオイルをさしてもらって、これまでと雲泥の乗り心地の差。
この3日間で、心のネジを緩め、巻き直すことができたかな。
5月22日。突然すぎる上司の死。僕は誰にもこの悲しみをぶつけることができず、ただ泣くしかなかったんだけど。
時を同じくして、僕らは新しい命を授かることができた。
人生は、続いていく。
そのなかで、僕は晴れた心を持って、拝みながら生きていくしかない。