さて、新しい会社に入って約3週間が過ぎた。
だんだん、周りのことが見えてきた。
そして、いよいよ来週は4月だ。
この3週間、そしてこの3連休で色々な刺激を受けた。
40歳を迎えるにあたって、考えることも多々ある。
僕はこれまでの中学・高校、大学、社会人、20代・30代をどのように過ごしてきて、
これから40代・50代をどのように過ごしていきたいのだろう。
中学・高校は、しこたま勉強しろと言われ続けたが、それから逃げ続けて、むしろ逃げることで得られる自由の快楽を知ったような気がする。
もちろん、勉強はそこそこしたけど、勉強をしなければならないのにゲームしてしまう、だからこそそのゲームが面白く感じるというか。
そんな感じで「自分の気持ちいいポイント」を見つけて、背徳感の中遊んでいた。
そして、いくら自分が頑張って勉強しても、到底追いつけないほどの賢い奴らが周りにはゴロゴロいて。
そんな奴らとまともに成績を争っても勝てないという諦めというか、むしろその中で成績ではない何かで、どう自分の色を出していくか?みたいなことを薄らと考えていて。
自分の場合は、それが作曲だったり、音楽に詳しい、サブカルに詳しいみたいなことだった。
大学に入ってからも、その感覚はずっとあって、
自分は人と違う。サブカルなんかに詳しいし、世の中の見え方も自分は違っている。
それが自分のアイデンティティだと思っていた。
だから、大学でも周りとあまり馴染もうとしなかった、というか普通に馴染めなかったし、
だけどモテたかったので鬱屈した日々を過ごしたんだけど。
それでも、その薄氷の上に成り立っている弱々しいアイデンティティを認めて、面白がってくれる人もいたし、引っ込み思案で何も活動すらできなかったけど、ブログやweb上で面白がってくれる友達も少しできた。
そんな中で、やっぱり決定打だったのは就職活動だった。
自分は人とは違う。文化を作りたい。ムーブメントを作りたい。
そんな思い込みを尖らせて絞ったのは、出版業界で、雑誌の編集者だったんだけど。
それもことごとく落ちて。
ものづくりだということで、メーカー受けては全て落ちて。
冗談抜きに100社以上は落ちた。
ゼミで、他の連中は皆内定が決まって、自分だけ夏も、冬もスーツ着て就活して。
毎日リクナビ見て、良さげな企業にエントリーしては落ちて。
今でも覚えている、中野にある過労死が出たSIerの面接。
あの雰囲気は嫌だったなぁ・・・
どんな社員が働いているのか、面接の前に早めに行って会社の前で様子を伺ってたっけ。
その会社も落ちた時の絶望たるや、また言葉にできないものがあって。
どこかの面接を受けた際に、会場の社員の人に「喫煙所どこですか!?」とかって聞いたりして。
髪型もボサボサだし、今考えるとそれで受かる訳がないなと思って。
で、だんだん「自分はまともじゃない」という感覚になっていって、自己分析しては深みにハマっていって、自分でも何がしたいのかよく分からなくなって。
メガネも、これまでかけたことのない、縁なし眼鏡にして髪を七三に分けたりとかもして。
あの時に、社会に無理矢理迎合させられた。
その敗北感もあるし、これまでのアイデンティティが一気に崩れた瞬間。
今考えれば、間違いなく大きな挫折だったと思う。
でも、そこで拾ってくれたのが1社目の会社で、今考えれば社会人のスタートを切るには、これ以上にないほど恵まれた環境だった。
就職活動で叩きのめされた世間に一矢報いるという、その反骨精神でがむしゃらに仕事した。
自分を認めなかった奴らが、自分の書いた企画書を評価してくれる喜び。
だから自分は企画書をもっと上手く書きたいと思ったし、その結果社会を動かすことが少しでもできれば、自分の存在価値を世の中に認めさせることができると思った。
その勢いで、ブランドプランナーになり、メーカーに転職した。
で、この反骨精神が28歳くらいの時にトーンダウンした。
それは、企画書以外のところでも、自分を受け入れてくれる環境を知ったから。
3社目のメーカーは、別に企画書が書けなくても、お客様からの電話を取ったり、店頭で接客したり、誰かの役にたったりすれば、それだけで存在意義があると教えてくれた。
もちろん、新しい事業にも積極的にチャレンジしたりして、自分ができることをしっかりやる。それが評価される。
そして、サラリーマンとは何たるか。
まずは、毎日会社に行くことが仕事。そして、上の言うことを絶対に聞くこと。社内政治で勝つこと。それに従うのがサラリーマンで、逆に言うと、それさえ飲めば良い。
それさえ飲めば、他の時間は自由に好きなことができる。
そんなことを、当時の上司に、夜な夜な酒の席で教えられた。
この時、明らかに自分の中から毒が消えていった。
世の中への反骨精神は無くなり、サラリーマンという安住に酔いしれた。
この頃、不思議なことが起こって。
2社目の時にレーシックを受けて、過矯正で目がひたすら疲れるし、さらに禁煙も開始して呂律が回らなくなるほど眠くなるような経験をして。
とにかくずっと眩暈がするし、頭もぼんやりするし・・・という日が1〜2年続いて。
その症状が徐々に無くなっていくのと同時に、何というか自分の中にそれまであった、自分らしさへの固執だったり、承認欲求、表現欲がスッパリ抜けたんですよね。
自分の中では、その経験の前はハードコアな感じだったんですけど、
その経験以降は、アクが抜けた感じ。
で、結婚して、31歳の時に4社目に転職して。
そこで、見た目・話し方・言葉遣い・礼儀・年功序列といった日本の大企業の基礎知識のようなものを叩き込まれて、さらにアクが抜けて。
面白くない商材を、面白くないクライアントに、面白くない売り方で売って。
そんなことを4年やって辟易していた頃に、出向で自由奔放にやらせてもらって。
アクが抜けた自分は、いつの間にか超大手の上場企業のマーケティング部署にいた訳です。
それは、大学生の頃に叶わなかったことであり、1社目で一矢報いたかった世間であり、自分の憧れでもあった。
就職人気ランキング1位と言われた会社の中枢に、就職でボロボロに叩きのめされて新宿のベンチャーからキャリアをスタートさせた自分がいた訳です。
で、そう考えると、ここで自分の禊が済んだ訳です。
自分は、いつの間にか自分が居たかった場所に来ていたけど、今の自分は客観的に見てどうなのか。
上の顔色を伺い、上のお題に対して自分が答えを作る。器用貧乏と言われ、政治のおもちゃにされる。
3社目で培った、何かに固執するのではなく、自分の持てるものを全て活かして組織に貢献するということで、結果として組織での評価に繋がったけど、これをやり続けることが自分のこれからのキャリアなのか?
この組織のために、自分は働き続けたいのか?
その結果、自分は今の環境に満足して、それで自分の人生はゴールなのか。
そして自分は何をしたかったんだっけ?
僕は、自分の成長というよりも、組織を成長させたい。
組織を成長させるために、自分が成長したいという考え方。
だけど、「お前は何をしたいんだ?」と言われると、個別具体のイシューは無い。
マーケターとして、何かブレイクさせることがしたい?
⇨あまり興味ない
営業として、ガッツリ実績を作りたい?
⇨あまり自信がない
面白い企画を考えて、唯一無二のサービスを作りたい?
⇨ちょっと興味あるかも
ずっと昔から盲信していたことがあって、
それは昔自分が作っていたwebサイト「ディスコ●●」を会社にするということ。
自分で作ったものを、自分が売りたい、という思いは何故か昔からあって。
自分の商品は、自分が一番のファンで、なので人にも自信を持ってお勧めできる、というもの。
これができることは本当に幸せだと思う。
この体験は、大学の時の文化祭で名刺屋を運営した経験にも基づいている。
お客様からのオーダーを聞いて、様々なデザインの名刺を作ってあげる。
web制作の企画書だってそう。自分はそれが一番良いと思ってるから、自信を持ってプレゼンできる。
全く具現化していないけど、いつか死ぬまでに必ずこれをやってみたい。
自分が欲しいものを自分で作り、自分で売る。
そのためには、前の職場にいては無理だ。
今の環境であれば、サービスを売ることを学べる。
だから、サービスの売り方を学びたい。
さらに、サービスを作ることも学べる。
だから、サービスの作り方を学びたい。
会社の作り方も学べる。
だから、会社の作り方や運営の仕方を学びたい。
間違いなく、今の経験は次のステップに役立つはず。
あとは、「自分が、何を欲するのか?」だ。
「欲しい」という欲求を持つ訓練をすること。
そのためには、「●●したい」という欲求を持つこと。
「●●したい」⇨「これ良い、これ最高」⇨「だけど、段々飽きたらなくなってきたから自分で作る!」⇨「一番のファンは自分!」
というループが理想系。
だから何かの、マニアにならないといけない。
マニアになるためには、興味を赴くままに泳がせることが必要。
上を見ない、横を見ない。
自分らしさとは、自分の価値基準で、世間を見る。興味を持つ。
常識にとらわれずに、壊すこと。
そうやって考えると、今年の抱負が見えてきた。
・サービスの作り方・売り方を身に着ける
・自分らしさの復権=マニアになる=欲を持つ=わがままになる=明日を壊す
・家庭と健康の両立