明日へ漕ぎ出す 別れです

他人事のように言いますが、人生って本当に面白いもので、

結果的にこの二月末をもって退職することにしました。

 

過去のエントリーを見てると、「転職したくなるとブログを書く」とか、その時々で自分を戒めたり納得させたりするエントリーがあって、

その軌跡を辿って読んでいくと・・・結果、転職かよ。という。

ああ、そうなったのね。という、客観的に見ている自分がいる。

 

でも、ブログの良さって、結構その当時のことが生々しく描かれてあって、

ああ、自分はこの頃から既に転職を意識してたんだなってことが分かるし、

当時はそんな考えだったけど、今はちょっと違うな、なんてことも分かったりする。

転職の時だけじゃなくてブログ書いとくのは、タメになるね。

 

それはさておき、前回のエントリーから転職活動を始めていることが窺い知れますが、

結果的に、結構勢いのあるベンチャーに転職することになりました。

 

前回のエントリーにもある通り、最初は大手にエントリーシートを送っていたのですが、ことごとく落ちました。

理由は何となく思いつくことがいくつかあって。

年齢や転職回数、あとは自分のキャリアにこれといった特色がないことなんかがあげられると思う。

 

ただ、そうやって何社も落とされるうちに、自分の中でいろいろな整理がついてきた。

以前、エージェントの方と話をした時も、大手は相当求めるレベルが高いので、正直あまり美味しくないみたいなことを言っていたのもあるし。

一番大きいのは、自分の中でも、大手に行ったとして何か自分のキャリアに答えが出る気がしなかった。

原籍というグループ子会社に戻るのが嫌だから、親会社のような会社に転職したいということが大手を志望する大きな理由だったように思う。

 

そこで、シードやアーリーフェーズのベンチャーなんかも見るようになったんですが、やっぱりビジネスの規模が小さいし、何よりも生活面で不安がある。

そこまでの勇気が無いのもあるし、そこまで惹かれる事業に出会わなかったこともある。

 

そんなこんなでダラダラと転職活動をし、某EC系の企業にエントリーしたところ書類選考通過。これがおそらく10月終わりごろ。

この当時は、まだ転職に対して確固たる思いは持っていなかった。

その企業も、受かったらまぁ、面白いなという程度で、何となくふわふわしていた。

 

この状況が大きく動いた出来事が11月〜12月にかけて2つあった。

一つは、同時並行で進めていた、原籍に戻って何をするか?という議論がいったん着地したことだった。

何度も議論を繰り返しては、役員にも何度もプレゼンして結果、全く何も決まらなかった。

自分をサポートしてくれた先輩も全く無力で、上司も無関心。

自分も本当にその事業を、原籍でやりたいのか?という気持ちに、ずっと嘘をつきながら、適当に打開策を見つけ出そうとしていた。

そして結局、何も進まず、茶番だけが終わった。

 

このうんざりする顛末に加えて、とどめを刺したのが、それを扇動した役員との1on1。

今思い出すだけでもめちゃくちゃ気持ち悪い、ねっとりしたパワハラ

「何も取り柄がない器用貧乏なので、正直ハマるポジションがない」とか「戻ってきて安泰な仕事につけると思うな。イバラの道を歩かせるからな」とか。

いや、そんなこと言われても自分としては何かを変えようとか1mmも思わないんだけど、そういうことを言う人の下で働きたいかと言われれば、100%働きたくない。

この件で転職を決意したと言うことではないけど、心底原籍に嫌気がさしたし、そんな会社で自分の将来が描けるわけがないと思った。

 

もう一つの大きなきっかけが、結局入社することになった某社からのスカウトメールだった。

全く畑の違う、正直、完全ノーマークの会社で、なんで自分にスカウトメール?と思ったけど、その内容を読むだけで何か違う、妙に心を打つものを感じた。

どんなスカウトメールをもらっても全く反応しなかった自分が、唯一返信したのが、その会社のスカウトだった。

その行動は、自分でもどこか信じられなかった。

何で、それ返信するの?と。

でも、どうしても一度話を聞いてみたくなった。

 

Webサイトで調べたり、カジュアル面談をするうちに段々と惹き込まれ、完全にそのビジョンに打ちのめされた。

さらに、その後6人もの社員と面談し、その雰囲気や手厚さだったりに何となく自分でしっくりくる感じがあったし、その面談の過程で自分の考えがすごくアップデートされていったような気がした。

なんとなく「自分っぽい」会社な気がした。

 

年末年始を挟んだので、転職やキャリアに関する本も沢山読んだ。

特に衝撃だったのはエミリー・ワプニックの「マルチ・ポテンシャライト」だった。

器用貧乏で悩む必要なんて毛頭も無くて、自分はマルチポテンシャライトという才能を持っているんだと開き直れたし、勇気をもらった。

そんな自分を受け入れてくれる環境、必要としてくれる場に行った方がいいし、そこで成果を出せる自信もあった。

 

次の企業に決めたのは、まさにそんなところに価値を感じてくれているし、独立や開業を支援するようなソリューションを販売しているところにも惹かれた。

 

以前のエントリーにもある通り、これまでの自分は大企業コンプレックスがあって、いつか大企業に行きたいとずっと思っていて、それが叶った。

僕の持論というか、母親の言葉で指針にしていることがあって、それは

「なりたいもの、ありたい姿は少し先をぼんやり見据えておけば、必ずその通りになる」

ということ。

遠い先ではなく、手に届きそうなことで、常に何となくありたい姿をイメージしておくこと。

 

じゃあ、一旦そのなりたいイメージが達成できて、その後どこにいくのか?ということを考えたときに「独立する」というキーワードが浮かび上がってきた。

実はこれも、相当昔からずっと思っていたこと。だけど、ずっと残タスクのままだったこと。

この40代は、このことを常にぼんやりイメージしていたいし、そうなれば良いなと思っている。

先述の「マルチ・ポテンシャライト」に出てきた、自分にしかできないルネサンスビジネスを立ち上げてみたい。

そのヒントを、これから数年かけて探していきたい。

 

そんな転機となる2つの出来事があって、内定も頂いた後に、何故か相当悩んだ。

 

今の会社は凄く福利厚生も充実しているし、コロナ前の水準に給与が戻れば収入も悪くない。

世間的なイメージも良いし、グループの中での評判も上々なので、仕事もしやすいし、結果も出しやすいし。

今の仕事を続けて、そこで培った人脈から起業する手もある。

読んだ本の中には、安定した仕事について副業でやりたいことをするという生き方指南をしている本もあった。

 

もう一つ、自分が辞めることでのインパクトも相当大きいだろうと思ってもいた。

先述の役員なんかは、完全に自分を手駒にして他の会社との交渉材料にしようという魂胆が明け透けだったし、

そうでなくても客観的に見て結構インパクトあるよなぁと、自分でもその認識があった。

妻の両親も反対していた。(そこに毅然と戦った妻には本当に感謝ですが)

 

そこまでの覚悟を持って辞めることができるのか。

 

オフィスの見学にも行った。

今の会社は、おじさんばかりだが、次の会社は服装も自由で若い人たちが活発に働いている。

奇抜な格好をしたエンジニアらしき人が、会社のフリースペースで働いている。

その時に、もう自分の腹は決まっていた。

 

今の会社は、多分、どこかで必ず辞めることになる。

少なくとも、50歳や60歳でその会社で働くイメージが全く湧かないし、その会社の50代・60代にロールモデルとなるような人が居ない。

50を過ぎてもあくせく組織間の調整、政治的なマウントの取り合いに奔走している人ばかりだ。そんな仕事には全く価値を感じていない。

それであれば早く辞めて、他の道を探した方が良いと思った。

 

そして、その先はベンチャー企業だということも確信できた。

僕は、新卒でベンチャーに入ったし、2社目・3社目も中小企業。

そのような会社では、個人の働きが組織・会社の動きにダイレクトに直結するし、そんな環境でこそ自分の器用貧乏は価値を発揮する。

それに、やっぱり、僕はあの空気感が好きだった。

福利厚生も、ブランドも、何も無いけど、新しいことを生み出して本当に皆一生懸命。

自分の原体験に、あの時の「働く」が残っているから、大企業に入って要らぬ苦労もめちゃくちゃあったけど、業務面では十分通用するし、自信も持てた。

 

そんな感じで悩んでいたけど、ほぼ自分の心の中では決まり始めたころに、

うちの父親がとんでもないことを言い出した。

「迷った時はな。紙にYES/NOの十字を書いて、五円玉をヒモに通してその紙の上に垂らして念じるんだ。どっちに行った方がいいかと・・・。そしたら、五円玉が勝手に動き出す・・・差した方向が、自分の深層心理だから」

この大事な場面でオカルトかよ!と思わず笑ってしまったが、いや、これが自分の親父なんだなと改めて思った。

 

上司に、退職の旨を伝えるその日の朝。

いつも行っている神社の境内で、一人そのオカルトをやってみた。

これも本当に笑えるんだけど、ちゃんとそのベンチャーに行きたいと差してくれた。

 

退職の意図を話す過程は、体験として結構面白かった。

社内外問わず誰もがめちゃくちゃ驚くし、「ああ、やっぱりそういうリアクションだよね」と客観的にその現象を見ていたし。

それ以上に興味深かったのは、噂の広がり方。

ここまでは行ってて、ここはまだなのね。みたいなことが、本当に言ってみないと分からなかった。

転職も4回目だけど、これまでの3回は辞めることにカジュアルな職場だったので、非常にスムーズでしたが、やはり大企業となると結構プロセスを経るもんだなぁと思った。

 

また、そのリアクションも多岐に渡っていて興味深かった。

結構印象に残っている言葉がいくつかある。

・皆一様に、「残念だけど、君の人生だし決断だから」と言っていた。

自分だったらそんな言葉をかけるかなぁ?とも思った。少なくとも、残念とは言わない気がする。おめでとうでも無いけど、素直にその決断は間違ってないというようなことを言いそうな気がする。

・ある人は、年齢を聞いて「ああ、その年齢だったらその選択は正解だよ」とも言っていた。

これは結構自分的には新しくて、普通は35歳限界説みたいなものが自分もあると思っていたし、

40で転職はキツくない!?というのが普通の反応だと思っていたので

・「転職できるってのは羨ましい」ということも言われた。

これも結構斬新で、終身雇用前提だとそういう発言も普通になるよなぁと思った。

結局自分は最初の会社がベンチャーだった時点で、もうそのような発想は根本的に無いんだなと思った。

・「結局、人生楽しんだもの勝ちだから。その選択は間違ってないよ」

この言葉は、ハッとさせられた。高校の卒業アルバムに、恩師が書いてくれた一言「楽しく生きたまえ」だったり、自分が以前作った曲でサンプリングした村上龍の「69」のセリフの一説に「人生、楽しんだもん勝ちばい!」というものがあったり。

 

そんなこんな、退職騒動を経て自分の中で芽生えてきた思いがある。

それは、「自分らしさの復興」だ。

 

退職することで、自分は社会の中で生かされているということを十二分に理解したし、

ここまでの覚悟で辞めたんだから、自分らしさを追求するしか無いじゃないかと。

他の会社に行って、いまと同じようなことやってたら、今の会社の人に申し訳ない。

辞めたからには、羽ばたきたい。

 

僕はいつの間にか、大学生の頃に持っていた自分らしさを閉じ込めて、抑圧して生きてきた。

たまにハミ出る「自分らしさ」を好んでくれた人もいたし、なんかもう40歳だし、そろそろまたそこに少し回帰したい。

自信を持って、生きていきたい。

 

そのためのフィールドが、次の会社にはきっとあると思っている。

無ければ、自分がそのように歩むことで周りを感化していきたい。

 

先週末行われたオンライン送別会で、なぜか年配の方が、ちあきなおみの「矢切のわたし」をYoutubeで流し始め。

そのカオスな展開はさておき、終わりの一節にある「明日へ漕ぎ出す 別れです」というフレーズ。

いや、それなんだよなぁと、感慨深くなってみたり。