自分だけの生き方 誰にも決められない

つい最近、FBを覗くと以前の会社の同僚が、以前自分が受けて落ちた会社に入社してて採用募集!と言っているのを見かけた。
その時に、何となく自分の嫌な部分が出てしまって。
端的に言うと嫉妬心が湧いたという事なんですが。

 

結構、この問題は根深くて。
いつの頃からか、人の幸せだったり、人の喜びを素直に喜べない自分が出始めた。
その結果、FBもTWも見るのを辞めて、さらに何人かをミュートして・・・ということまでやりはじめたんだけど。
そのクセがようやく抜け始めたかな~と思った矢先に、やっぱり出てきた。

 

昔と言っても大学生の頃だけど、その頃は多分、そんなこと無かった気がして。
多分社会人になってからだと思うんですよね。
それこそ、前のエントリーにも書いた通り、就職活動に失敗してめちゃくちゃ劣等感を背負っていた頃くらいから。
大企業に勤めてるやつ、医者や弁護士になったやつ。
そんな奴らの日常がバンバン出て来ることに耐え切れなくなって、いつしか自分もそこで発信することを辞めたし、見ることも辞めた。


人は人、自分は自分で、素直に喜んだり、自分の近況を発信すれば良いんだろうけど、それが出来なかった。

そして、社会人になってからのこの16年ほどずっとそんな状態が続いている。

 

やっぱり、名のある企業や凄みのある資格、自慢できる年収が無いと、そこで発言してはいけないんじゃないか?という引け目がずっとある。

自分はそういうのが嫌で、「自分らしく居たい」といつも思ってるんだけど、思っているだけでなかなか心の根本まで変えることが出来ていない。
多分、このような心が変われば、もっと人生が楽しくなるし、もっと思い切った人生が歩めると思うんだけど。


だから、これは「変えたい自分」の筆頭でもある。

 

でも、こう思ってしまう原因ってそもそもなんだろう?
さいころから「誰君の所は兄弟全員医者で・・・」とか「誰さんは何大学に行って・・・」みたいな話とかをずっとされていたからだろうか。
そこで「うちの子は全然出来が悪くて・・・」みたいに言われたからだろうか。

比較され続けて、でも勝ち方が分からなくて、結果一部のジャンルにマニアックになったりすることで自分のアイデンティティを保ってたんだけど。
それも無くなってしまうと、自分のアイデンティティが保てなくなるんでしょうね。

 

「自分らしさ」って、誰でもない自分になることでは無くて、誰かと比較することを止めるという事だと思うんですよね。
だから、自分と全く同じ人がいても、自分に正直であればそれで良くて、それが「自分らしさ」なわけです。

 

仕事で出来ない事があって悔しいから頑張る。これは自分らしさ。
友人に馬鹿にされたくなくて、給料が高い仕事を選ぶ。これは自分らしさでは無い。

 

自分が頑張っていることを、誰が批判できるのか。
自分の年収が低くても、訳分からない会社に勤めてても、誰が気にするのか。
心の中で、それを蔑む人がいる。実は、その正体は自分だったりする。
人目を気にして、ブランドや知名度や給料を一番気にしているのは自分。
だけど、そういう価値観が一番嫌いなのも自分。

 

この呪縛から解かれる術は、以下の2つしかない。
・ブランドや知名度、給料が他人に自慢できるような状態に持っていく
・根本を変えて、どんな状態であれ自分を許容する