自由時間の後は、いつも寂しい

ああ、ゴールデンウィークが終わってしまう。

10連休という未曽有の長期休暇が、終わってしまう。

 

思えば、いつも自由時間の後は寂しさだけが残った。

学生時代の夏休みや、そもそもの大学生の終わりもそうだった。

最後になって、やりたいこと、やるべきことは何だったんだろうといつも顧みる。

 

そんな記憶が根深く残っているからなのか、長期休暇が始まると不安でしょうがない。

今回も何故か4日目くらいからブルーになってしまった。

 

これまでの長期休暇は、それはもうぎっしりと計画を立てて、遊び倒した。

その休みの期間で、何かを残さないといけないと思っていた。

曲を作る、旅行に行く、アニメを全話見る・・・など。

 

だけど、今回は違う。何も予定を立てず、何も考えず過ごした。

というか、子供が小さすぎて何もできなかった。

何も作らなかったし、どこにも遠出しなかった。

だから、今回の休みは仕事がずっと延長しているような感じがあった。

あまりリラックスした時間はできなかった。

 

けど、振り返ってみて、ひとつ確実に思ったことがある。

それは、自分の人生は子どもの人生であり、自分は子どものために働くのだということだ。

 

もはや、自分の時間なんてプライベートではほとんど無い。

自分が楽しむときは、基本的には子どもと楽しむ時だ。

 

何故、仕事をするのか?という問いへの回答を考えてみる。

 

①仕事は、毎日やってきて、それを処理しなければいけないから。

それを処理しなければ誰かに迷惑がかかる。その正義感や責任感で仕事をしている。

自分が新しい知識を身に着けようとするのは、それを誰かに求められているからだ。

その責任感を全うし続けること=仕事

※しかも、それが結構自分的に気持ち良かったりする。

 

②仕事は、社会との繋がりだから。

仕事がないと、人との出会いもない。

人との出会い、関係作りが楽しいから仕事をしている。

 

③仕事は、生活をするために必要なことだから。

自分を定義づけるアイデンティティの一つでもある。

仕事は、自分という価値を社会に還元してお金を得る過程。

 

じゃあ、仕事をする上で①の責任が無くなれば、仕事しなくて良いの?というと、多分仕事をする。

③の理由が大前提にあって、②が十分条件、仕事を始めれば①は必ず付いてくる。

 

つまり、仕事をする理由は、どう考えても

自分自身が資本主義社会の中で生きていくため

=自分と子ども、家族を養うために働く のだと思う。

 

そう考えていくと、悲しいかなどうしても

これからの人生、自分の自由時間はほぼ無くなる。

仕事をする時間も無尽蔵ではなくなる。

何故なら、僕の時間は家族や部下などパブリックな時間になるからだ。

 

だから、自分の時間をいかに使うか。

どう効率的に作業をするか、勉強するか、遊ぶか、リラックスするか。

 

これが分かっただけでも、今回のGWの価値はあるのだと思う!

@近所の公園にて