本当の安息ってあるのだろうか

いやー、6月ごろの鬱々とした自分に教えてあげたい。

7月から新しい体制になり、めちゃくちゃ忙しい日々を送っていることを。

そして、自信は未だに無いものの、楽しく仕事しているということを。

 

というわけで、散歩みたいなスピードから一気に自分の持っている最大の力を振り絞って、フルマラソンの2合目あたりを今全力疾走している感じなんですが。

ですが。これはこれでまた考えることもあって。

このまま走り続けることが出来るんだろうかという不安が襲ってきているわけです。

 

何というか、これまでも死ぬほど忙しい場面は多々経験してきた。

例えば一社目で、3日徹夜してもプレゼンの準備が終わらなくて。本当に頑張っても、終わらないことがあるんだと。

いや当然なんだけど、そんなことを思った時があったし。

 

前職でも夜中の2時くらいまでかけて資料準備したこともあったけど。

でも、MTGの多くが、単に参加してれば良いだけのものが多かったし、今考えれば本当に仕事した気になるようなものばかりだった。

何も本質的ではない忙しさ。

 

で、今の忙しさは本質的な忙しさだし、意味のある忙しさ。

自分で何かを動かしていかないといけない。

マネージャーではなく、プレーヤーとしての忙しさ。

だから、マインドシェアも高い。

 

だけど、クライアントワークではないし、協力してくれる外部もいないから、基本自分一人で作っていかないといけない。

まさに自責なんだけど、その心地良さもある。

基本、自分で作って自分で売りたいってことを、ずっとしたかったから、それには叶ってる。

 

けど、スピード求められるから辛いし、周りはプロだらけだから指摘も鋭い。

だから凹むことも多い。

 

けど、こうやって書いてると、ああ、自分はもしかしたら好きなことやってるのかもしれないと思った。

 

今は、詰められてるから忙しい。

だから、心を無くさないようにしたい。

 

自分が作りたいものはなんだっけ?

どうすれば、本質的なお客さまの価値になるんだっけ?

それを、自分で押し通せるんだっけ?

 

自分で事業するって、結局そういうことなんだと思う。

 

そして今、こんなにもマインドシェアを占めている仕事から逃げたくもなっている。

夜は仕事せず、ダラダラと毎日、ハロプロYouTube見ながら酒飲みたい。

 

自分にとって理想のライフワークバランスって何だろう。

仕事が暇でも病むし、どうでも良い仕事だらけでも退屈だし、充実した仕事で忙しくても疲れるし。

 

これを60歳くらいまで続けるわけです。

そうなると、絶対に自分が納得できるのは、充実した仕事で忙しい状況な訳です。

 

そうすると、これをやり続ける為には、やっぱり体力と理念が必要。

 

充実した人生は、充実した仕事から。

充実した仕事は、理念の強さから。

 

仕事に追われるから逃げたくなる。

そうじゃない。

僕が今の仕事で成し遂げたいことは何なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

本当の安息ってあるのだろうか

いやー、6月ごろの鬱々とした自分に教えてあげたい。

7月から新しい体制になり、めちゃくちゃ忙しい日々を送っていることを。

そして、自信は未だに無いものの、楽しく仕事しているということを。

 

というわけで、散歩みたいなスピードから一気に自分の持っている最大の力を振り絞って、フルマラソンの2合目あたりを今全力疾走している感じなんですが。

ですが。これはこれでまた考えることもあって。

このまま走り続けることが出来るんだろうかという不安が襲ってきているわけです。

 

何というか、これまでも死ぬほど忙しい場面は多々経験してきた。

例えば一社目で、3日徹夜してもプレゼンの準備が終わらなくて。本当に頑張っても、終わらないことがあるんだと。

いや当然なんだけど、そんなことを思った時があったし。

 

前職でも夜中の2時くらいまでかけて資料準備したこともあったけど。

でも、MTGの多くが、単に参加してれば良いだけのものが多かったし、今考えれば本当に仕事した気になるようなものばかりだった。

何も本質的ではない忙しさ。

 

で、今の忙しさは本質的な忙しさだし、意味のある忙しさ。

自分で何かを動かしていかないといけない。

マネージャーではなく、プレーヤーとしての忙しさ。

だから、マインドシェアも高い。

 

だけど、クライアントワークではないし、協力してくれる外部もいないから、基本自分一人で作っていかないといけない。

まさに自責なんだけど、その心地良さもある。

基本、自分で作って自分で売りたいってことを、ずっとしたかったから、それには叶ってる。

 

けど、スピード求められるから辛いし、周りはプロだらけだから指摘も鋭い。

だから凹むことも多い。

 

けど、こうやって書いてると、ああ、自分はもしかしたら好きなことやってるのかもしれないと思った。

 

今は、詰められてるから忙しい。

だから、心を無くさないようにしたい。

 

自分が作りたいものはなんだっけ?

どうすれば、本質的なお客さまの価値になるんだっけ?

それを、自分で押し通せるんだっけ?

 

自分で事業するって、結局そういうことなんだと思う。

 

そして今、こんなにもマインドシェアを占めている仕事から逃げたくもなっている。

夜は仕事せず、ダラダラと毎日、ハロプロYouTube見ながら酒飲みたい。

 

自分にとって理想のライフワークバランスって何だろう。

仕事が暇でも病むし、どうでも良い仕事だらけでも退屈だし、充実した仕事で忙しくても疲れるし。

 

これを60歳くらいまで続けるわけです。

そうなると、絶対に自分が納得できるのは、充実した仕事で忙しい状況な訳です。

 

そうすると、これをやり続ける為には、やっぱり体力と理念が必要。

 

充実した人生は、充実した仕事から。

充実した仕事は、理念の強さから。

 

仕事に追われるから逃げたくなる。

そうじゃない。

僕が今の仕事で成し遂げたいことは何なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

考えたこと

最近また、人生について思い悩んでいる。

 

ひとつは、今の仕事に全く身が入らないということ。

仕事がなかなか面白くならない。

 

自分は、人のために仕事をするタイプなので、対象となる人が今は見えていないことが大きい。

誰かの役に立っている感じがしていない。

 

今の仕事で、顔の見える誰かのために仕事をしようとした場合、どのようなシーンが考えられるのだろうか。

営業のために一肌脱いだ時は、凄く仕事をしている感じがした。

でも、これって今冷静に考えてみると、自己承認欲求なだけかもしれない。

自己承認欲求が仕事の大きなエンジンになっているのだとすると、それはそれで分かりやすい。

 

ただ、この場合は他人が基準の仕事になってしまうので、自分がこうしたい、という主張をしていくことも大切になる。

それに、承認欲求が強いから、嫉妬するし、自分が付いていけていない状況がつまらない。

 

でもそれって、少し俯瞰的に見てみれば、凄く視野が狭いというか。

目の前にある対象をどうにかしようと頑張っているだけなんですよね。

 

自分は、もっと全体で成果を出せる人間だし、目の前の嫉妬や見栄で動かされてはいけない。

もっと大局に立って、自分が何をしたいのかを見なければ。

 

で、僕がしたかったことは何なんだろう。

何故、地域創生をしたかったんだろう。

 

前職で、漠然と地方創生の仕事をしていて、何となく社内で専門家のような見られ方もして。

地方創生のために、ということを言えば何となく社内の共感も得やすくて、世間の評価も得やすくて。

で、自分は地方に対してどれだけの思いを持ってたんだろう。

会社のために地方創生をやっている、というだけで、自分の意志ではなかった。今思えば。

 

でも、地方創生の世界が好きだったのは事実。

失敗も許されて、とにかくアイデア出したもん勝ちで、お客様や地方が喜んでくれればいいという寛容な雰囲気もあって。

何かしら地方に貢献しているということが気持ちよかったし、やりがいを感じていた。

 

キャリア的にも、地方創生は一つの柱になっていて、

自分は「地方創生のカードを使ってITにシフトチェンジする」と思って選んだのが今の会社なので。

地方創生という観点は、やっぱり忘れちゃいけない。

自分のアイデンティティになっている。

 

重い使命感ということではない、単純に、自分が頑張れるのが「地域創生」というテーマだからだ。

 

 

なんとなくブルーな夜に

芸能人の死は、ミーハーに思われるのも嫌だから、いつも何となく見ないように触れないようにしていて。

耳に入ることで勿論ショックは受けるんだけども、なるべく目を向けないようにして、その場から早く遠ざかるようにしていた。

 

けど、今回の上島竜兵の件は、ちょっと寂しさを押し込むことができなかった。

めちゃくちゃ好きな芸人でも無かったけど、キャラになんとなく影の部分も感じていて、それが魅力だったし、自分に投影してみることもたまにあったから、今回の件も、他人事とは思えないような気もしていた。

 

原因についていろいろ憶測を語るのは野暮だと思うんだけど、他の人も言っている通り、やっぱり人間の二面性について深く考えてしまう。

 

自分も、そのような選択をする可能性がゼロではないだろう。と思う。

 

例えば僕は今、転職して間もない、というストレスにさらされてはいるが。

前の職場の方が楽で安定していて、世間的にもホワイト企業のような見られ方をしていたけど、精神を病んで休職している人も多かったですからね。

以前、前の会社から別の組織に出向して超激務を強いられた人が、帰任してきた際に言っていた言葉で「精神的には今の職場の方がきつい」と言っていたのも、あながち嘘じゃないんだと思った。

 

これが不思議なんですよね。

待遇も悪くないし、仕事も面白いし、周りの人も良い人ばかりなのに、なぜか気を病んでしまう。

自分も、病みはしなかったけど、今考えると、あのストレスは戻りたくないなぁと思ってしまったりする。

なんか、一種の村社会だから、色々な人の目を気にしながら生きていかないといけなかったり、狭いコミュニティで覇権争いがあったり。

中学生のような発想が、そのまま延長してまかり通っているんですよね。

 

その点では、今の職場は周りが優秀すぎて辛いし、しかしながら結果出していかないといけない重責も感じているんだけど、変な覇権争いや、偉い人の顔色を見ながら仕事するストレスは無いんですよね。

だから、知らないだけかもしれないけど、休職している人もそんなにいないと思うし。

 

で、色々と書いてきたけど、何が言いたかったかというと、結局周りから見えていることと、当人から見えている視点は全く違うということ。

 

だから、自分がどうしようもなくなってしまう、その前に。

自分は自分の状態を把握しておかないといけないし、常に逃げ方を考えておかないといけない。

逃げることは、決して悪いことではない。

 

大切なのは、健やかな心を保つこと。健やかな身体を保つこと。そして困らないくらいの収入があること。

その上に初めて充実した仕事があって、結果として充実したプライベートが持てる。という。

これは2008年、今から14年前の25歳の頃の自分が考えていたことなんですが。

 

でもその頃のメモを見返すと、びっくりするくらい今と悩みが変わってないんだよなぁ。

自分には強みがないと嘆いているのは、今も全く変わっていない。

ただ、その場その場で、分からないながらも成果出してきたつもり。

間違いなく今の自分は昔の自分と比べて自信もついているし、今の職場で身につけていることは自身をアップデートできていると感じている。

そうやって前向きに生きていけば、希望を失わずに進んでいけるのかもしれない。

 

心を穏やかに保って、進みたい方向を定めて、粛々と進んでいけば良い。

自分だけの生き方 誰にも決められない

つい最近、FBを覗くと以前の会社の同僚が、以前自分が受けて落ちた会社に入社してて採用募集!と言っているのを見かけた。
その時に、何となく自分の嫌な部分が出てしまって。
端的に言うと嫉妬心が湧いたという事なんですが。

 

結構、この問題は根深くて。
いつの頃からか、人の幸せだったり、人の喜びを素直に喜べない自分が出始めた。
その結果、FBもTWも見るのを辞めて、さらに何人かをミュートして・・・ということまでやりはじめたんだけど。
そのクセがようやく抜け始めたかな~と思った矢先に、やっぱり出てきた。

 

昔と言っても大学生の頃だけど、その頃は多分、そんなこと無かった気がして。
多分社会人になってからだと思うんですよね。
それこそ、前のエントリーにも書いた通り、就職活動に失敗してめちゃくちゃ劣等感を背負っていた頃くらいから。
大企業に勤めてるやつ、医者や弁護士になったやつ。
そんな奴らの日常がバンバン出て来ることに耐え切れなくなって、いつしか自分もそこで発信することを辞めたし、見ることも辞めた。


人は人、自分は自分で、素直に喜んだり、自分の近況を発信すれば良いんだろうけど、それが出来なかった。

そして、社会人になってからのこの16年ほどずっとそんな状態が続いている。

 

やっぱり、名のある企業や凄みのある資格、自慢できる年収が無いと、そこで発言してはいけないんじゃないか?という引け目がずっとある。

自分はそういうのが嫌で、「自分らしく居たい」といつも思ってるんだけど、思っているだけでなかなか心の根本まで変えることが出来ていない。
多分、このような心が変われば、もっと人生が楽しくなるし、もっと思い切った人生が歩めると思うんだけど。


だから、これは「変えたい自分」の筆頭でもある。

 

でも、こう思ってしまう原因ってそもそもなんだろう?
さいころから「誰君の所は兄弟全員医者で・・・」とか「誰さんは何大学に行って・・・」みたいな話とかをずっとされていたからだろうか。
そこで「うちの子は全然出来が悪くて・・・」みたいに言われたからだろうか。

比較され続けて、でも勝ち方が分からなくて、結果一部のジャンルにマニアックになったりすることで自分のアイデンティティを保ってたんだけど。
それも無くなってしまうと、自分のアイデンティティが保てなくなるんでしょうね。

 

「自分らしさ」って、誰でもない自分になることでは無くて、誰かと比較することを止めるという事だと思うんですよね。
だから、自分と全く同じ人がいても、自分に正直であればそれで良くて、それが「自分らしさ」なわけです。

 

仕事で出来ない事があって悔しいから頑張る。これは自分らしさ。
友人に馬鹿にされたくなくて、給料が高い仕事を選ぶ。これは自分らしさでは無い。

 

自分が頑張っていることを、誰が批判できるのか。
自分の年収が低くても、訳分からない会社に勤めてても、誰が気にするのか。
心の中で、それを蔑む人がいる。実は、その正体は自分だったりする。
人目を気にして、ブランドや知名度や給料を一番気にしているのは自分。
だけど、そういう価値観が一番嫌いなのも自分。

 

この呪縛から解かれる術は、以下の2つしかない。
・ブランドや知名度、給料が他人に自慢できるような状態に持っていく
・根本を変えて、どんな状態であれ自分を許容する

さて、新しい会社に入って約3週間が過ぎた。

だんだん、周りのことが見えてきた。

そして、いよいよ来週は4月だ。

 

この3週間、そしてこの3連休で色々な刺激を受けた。

40歳を迎えるにあたって、考えることも多々ある。

 

僕はこれまでの中学・高校、大学、社会人、20代・30代をどのように過ごしてきて、

これから40代・50代をどのように過ごしていきたいのだろう。

 

中学・高校は、しこたま勉強しろと言われ続けたが、それから逃げ続けて、むしろ逃げることで得られる自由の快楽を知ったような気がする。

もちろん、勉強はそこそこしたけど、勉強をしなければならないのにゲームしてしまう、だからこそそのゲームが面白く感じるというか。

そんな感じで「自分の気持ちいいポイント」を見つけて、背徳感の中遊んでいた。

 

そして、いくら自分が頑張って勉強しても、到底追いつけないほどの賢い奴らが周りにはゴロゴロいて。

そんな奴らとまともに成績を争っても勝てないという諦めというか、むしろその中で成績ではない何かで、どう自分の色を出していくか?みたいなことを薄らと考えていて。

自分の場合は、それが作曲だったり、音楽に詳しい、サブカルに詳しいみたいなことだった。

 

大学に入ってからも、その感覚はずっとあって、

自分は人と違う。サブカルなんかに詳しいし、世の中の見え方も自分は違っている。

それが自分のアイデンティティだと思っていた。

だから、大学でも周りとあまり馴染もうとしなかった、というか普通に馴染めなかったし、

だけどモテたかったので鬱屈した日々を過ごしたんだけど。

それでも、その薄氷の上に成り立っている弱々しいアイデンティティを認めて、面白がってくれる人もいたし、引っ込み思案で何も活動すらできなかったけど、ブログやweb上で面白がってくれる友達も少しできた。

 

そんな中で、やっぱり決定打だったのは就職活動だった。

自分は人とは違う。文化を作りたい。ムーブメントを作りたい。

そんな思い込みを尖らせて絞ったのは、出版業界で、雑誌の編集者だったんだけど。

それもことごとく落ちて。

ものづくりだということで、メーカー受けては全て落ちて。

冗談抜きに100社以上は落ちた。

 

ゼミで、他の連中は皆内定が決まって、自分だけ夏も、冬もスーツ着て就活して。

毎日リクナビ見て、良さげな企業にエントリーしては落ちて。

今でも覚えている、中野にある過労死が出たSIerの面接。

あの雰囲気は嫌だったなぁ・・・

どんな社員が働いているのか、面接の前に早めに行って会社の前で様子を伺ってたっけ。

その会社も落ちた時の絶望たるや、また言葉にできないものがあって。

 

どこかの面接を受けた際に、会場の社員の人に「喫煙所どこですか!?」とかって聞いたりして。

髪型もボサボサだし、今考えるとそれで受かる訳がないなと思って。

で、だんだん「自分はまともじゃない」という感覚になっていって、自己分析しては深みにハマっていって、自分でも何がしたいのかよく分からなくなって。

メガネも、これまでかけたことのない、縁なし眼鏡にして髪を七三に分けたりとかもして。

 

あの時に、社会に無理矢理迎合させられた。

その敗北感もあるし、これまでのアイデンティティが一気に崩れた瞬間。

今考えれば、間違いなく大きな挫折だったと思う。

 

でも、そこで拾ってくれたのが1社目の会社で、今考えれば社会人のスタートを切るには、これ以上にないほど恵まれた環境だった。

就職活動で叩きのめされた世間に一矢報いるという、その反骨精神でがむしゃらに仕事した。

自分を認めなかった奴らが、自分の書いた企画書を評価してくれる喜び。

だから自分は企画書をもっと上手く書きたいと思ったし、その結果社会を動かすことが少しでもできれば、自分の存在価値を世の中に認めさせることができると思った。

 

その勢いで、ブランドプランナーになり、メーカーに転職した。

 

で、この反骨精神が28歳くらいの時にトーンダウンした。

それは、企画書以外のところでも、自分を受け入れてくれる環境を知ったから。

3社目のメーカーは、別に企画書が書けなくても、お客様からの電話を取ったり、店頭で接客したり、誰かの役にたったりすれば、それだけで存在意義があると教えてくれた。

もちろん、新しい事業にも積極的にチャレンジしたりして、自分ができることをしっかりやる。それが評価される。

そして、サラリーマンとは何たるか。

まずは、毎日会社に行くことが仕事。そして、上の言うことを絶対に聞くこと。社内政治で勝つこと。それに従うのがサラリーマンで、逆に言うと、それさえ飲めば良い。

それさえ飲めば、他の時間は自由に好きなことができる。

 

そんなことを、当時の上司に、夜な夜な酒の席で教えられた。

この時、明らかに自分の中から毒が消えていった。

世の中への反骨精神は無くなり、サラリーマンという安住に酔いしれた。

 

この頃、不思議なことが起こって。

2社目の時にレーシックを受けて、過矯正で目がひたすら疲れるし、さらに禁煙も開始して呂律が回らなくなるほど眠くなるような経験をして。

とにかくずっと眩暈がするし、頭もぼんやりするし・・・という日が1〜2年続いて。

その症状が徐々に無くなっていくのと同時に、何というか自分の中にそれまであった、自分らしさへの固執だったり、承認欲求、表現欲がスッパリ抜けたんですよね。

 

自分の中では、その経験の前はハードコアな感じだったんですけど、

その経験以降は、アクが抜けた感じ。

 

で、結婚して、31歳の時に4社目に転職して。

そこで、見た目・話し方・言葉遣い・礼儀・年功序列といった日本の大企業の基礎知識のようなものを叩き込まれて、さらにアクが抜けて。

面白くない商材を、面白くないクライアントに、面白くない売り方で売って。

そんなことを4年やって辟易していた頃に、出向で自由奔放にやらせてもらって。

アクが抜けた自分は、いつの間にか超大手の上場企業のマーケティング部署にいた訳です。

 

それは、大学生の頃に叶わなかったことであり、1社目で一矢報いたかった世間であり、自分の憧れでもあった。

就職人気ランキング1位と言われた会社の中枢に、就職でボロボロに叩きのめされて新宿のベンチャーからキャリアをスタートさせた自分がいた訳です。

 

で、そう考えると、ここで自分の禊が済んだ訳です。

 

自分は、いつの間にか自分が居たかった場所に来ていたけど、今の自分は客観的に見てどうなのか。

上の顔色を伺い、上のお題に対して自分が答えを作る。器用貧乏と言われ、政治のおもちゃにされる。

3社目で培った、何かに固執するのではなく、自分の持てるものを全て活かして組織に貢献するということで、結果として組織での評価に繋がったけど、これをやり続けることが自分のこれからのキャリアなのか?

年功序列、グループ間でのヒエラルキー、政治ゲーム・・・

この組織のために、自分は働き続けたいのか?

その結果、自分は今の環境に満足して、それで自分の人生はゴールなのか。

 

そして自分は何をしたかったんだっけ?

僕は、自分の成長というよりも、組織を成長させたい。

組織を成長させるために、自分が成長したいという考え方。

だけど、「お前は何をしたいんだ?」と言われると、個別具体のイシューは無い。

 

マーケターとして、何かブレイクさせることがしたい?

 ⇨あまり興味ない

営業として、ガッツリ実績を作りたい?

 ⇨あまり自信がない

面白い企画を考えて、唯一無二のサービスを作りたい?

 ⇨ちょっと興味あるかも

 

ずっと昔から盲信していたことがあって、

それは昔自分が作っていたwebサイト「ディスコ●●」を会社にするということ。

自分で作ったものを、自分が売りたい、という思いは何故か昔からあって。

自分の商品は、自分が一番のファンで、なので人にも自信を持ってお勧めできる、というもの。

これができることは本当に幸せだと思う。

 

この体験は、大学の時の文化祭で名刺屋を運営した経験にも基づいている。

お客様からのオーダーを聞いて、様々なデザインの名刺を作ってあげる。

web制作の企画書だってそう。自分はそれが一番良いと思ってるから、自信を持ってプレゼンできる。

 

全く具現化していないけど、いつか死ぬまでに必ずこれをやってみたい。

自分が欲しいものを自分で作り、自分で売る。

 

そのためには、前の職場にいては無理だ。

 

今の環境であれば、サービスを売ることを学べる。

 だから、サービスの売り方を学びたい。

さらに、サービスを作ることも学べる。

 だから、サービスの作り方を学びたい。

会社の作り方も学べる。

 だから、会社の作り方や運営の仕方を学びたい。

 

間違いなく、今の経験は次のステップに役立つはず。

あとは、「自分が、何を欲するのか?」だ。

 

「欲しい」という欲求を持つ訓練をすること。

そのためには、「●●したい」という欲求を持つこと。

「●●したい」⇨「これ良い、これ最高」⇨「だけど、段々飽きたらなくなってきたから自分で作る!」⇨「一番のファンは自分!」

というループが理想系。

だから何かの、マニアにならないといけない。

 

マニアになるためには、興味を赴くままに泳がせることが必要。

上を見ない、横を見ない。

自分らしさとは、自分の価値基準で、世間を見る。興味を持つ。

常識にとらわれずに、壊すこと。

 

そうやって考えると、今年の抱負が見えてきた。

・サービスの作り方・売り方を身に着ける

・自分らしさの復権=マニアになる=欲を持つ=わがままになる=明日を壊す

・家庭と健康の両立

 

 

 

 

 

明日へ漕ぎ出す 別れです

他人事のように言いますが、人生って本当に面白いもので、

結果的にこの二月末をもって退職することにしました。

 

過去のエントリーを見てると、「転職したくなるとブログを書く」とか、その時々で自分を戒めたり納得させたりするエントリーがあって、

その軌跡を辿って読んでいくと・・・結果、転職かよ。という。

ああ、そうなったのね。という、客観的に見ている自分がいる。

 

でも、ブログの良さって、結構その当時のことが生々しく描かれてあって、

ああ、自分はこの頃から既に転職を意識してたんだなってことが分かるし、

当時はそんな考えだったけど、今はちょっと違うな、なんてことも分かったりする。

転職の時だけじゃなくてブログ書いとくのは、タメになるね。

 

それはさておき、前回のエントリーから転職活動を始めていることが窺い知れますが、

結果的に、結構勢いのあるベンチャーに転職することになりました。

 

前回のエントリーにもある通り、最初は大手にエントリーシートを送っていたのですが、ことごとく落ちました。

理由は何となく思いつくことがいくつかあって。

年齢や転職回数、あとは自分のキャリアにこれといった特色がないことなんかがあげられると思う。

 

ただ、そうやって何社も落とされるうちに、自分の中でいろいろな整理がついてきた。

以前、エージェントの方と話をした時も、大手は相当求めるレベルが高いので、正直あまり美味しくないみたいなことを言っていたのもあるし。

一番大きいのは、自分の中でも、大手に行ったとして何か自分のキャリアに答えが出る気がしなかった。

原籍というグループ子会社に戻るのが嫌だから、親会社のような会社に転職したいということが大手を志望する大きな理由だったように思う。

 

そこで、シードやアーリーフェーズのベンチャーなんかも見るようになったんですが、やっぱりビジネスの規模が小さいし、何よりも生活面で不安がある。

そこまでの勇気が無いのもあるし、そこまで惹かれる事業に出会わなかったこともある。

 

そんなこんなでダラダラと転職活動をし、某EC系の企業にエントリーしたところ書類選考通過。これがおそらく10月終わりごろ。

この当時は、まだ転職に対して確固たる思いは持っていなかった。

その企業も、受かったらまぁ、面白いなという程度で、何となくふわふわしていた。

 

この状況が大きく動いた出来事が11月〜12月にかけて2つあった。

一つは、同時並行で進めていた、原籍に戻って何をするか?という議論がいったん着地したことだった。

何度も議論を繰り返しては、役員にも何度もプレゼンして結果、全く何も決まらなかった。

自分をサポートしてくれた先輩も全く無力で、上司も無関心。

自分も本当にその事業を、原籍でやりたいのか?という気持ちに、ずっと嘘をつきながら、適当に打開策を見つけ出そうとしていた。

そして結局、何も進まず、茶番だけが終わった。

 

このうんざりする顛末に加えて、とどめを刺したのが、それを扇動した役員との1on1。

今思い出すだけでもめちゃくちゃ気持ち悪い、ねっとりしたパワハラ

「何も取り柄がない器用貧乏なので、正直ハマるポジションがない」とか「戻ってきて安泰な仕事につけると思うな。イバラの道を歩かせるからな」とか。

いや、そんなこと言われても自分としては何かを変えようとか1mmも思わないんだけど、そういうことを言う人の下で働きたいかと言われれば、100%働きたくない。

この件で転職を決意したと言うことではないけど、心底原籍に嫌気がさしたし、そんな会社で自分の将来が描けるわけがないと思った。

 

もう一つの大きなきっかけが、結局入社することになった某社からのスカウトメールだった。

全く畑の違う、正直、完全ノーマークの会社で、なんで自分にスカウトメール?と思ったけど、その内容を読むだけで何か違う、妙に心を打つものを感じた。

どんなスカウトメールをもらっても全く反応しなかった自分が、唯一返信したのが、その会社のスカウトだった。

その行動は、自分でもどこか信じられなかった。

何で、それ返信するの?と。

でも、どうしても一度話を聞いてみたくなった。

 

Webサイトで調べたり、カジュアル面談をするうちに段々と惹き込まれ、完全にそのビジョンに打ちのめされた。

さらに、その後6人もの社員と面談し、その雰囲気や手厚さだったりに何となく自分でしっくりくる感じがあったし、その面談の過程で自分の考えがすごくアップデートされていったような気がした。

なんとなく「自分っぽい」会社な気がした。

 

年末年始を挟んだので、転職やキャリアに関する本も沢山読んだ。

特に衝撃だったのはエミリー・ワプニックの「マルチ・ポテンシャライト」だった。

器用貧乏で悩む必要なんて毛頭も無くて、自分はマルチポテンシャライトという才能を持っているんだと開き直れたし、勇気をもらった。

そんな自分を受け入れてくれる環境、必要としてくれる場に行った方がいいし、そこで成果を出せる自信もあった。

 

次の企業に決めたのは、まさにそんなところに価値を感じてくれているし、独立や開業を支援するようなソリューションを販売しているところにも惹かれた。

 

以前のエントリーにもある通り、これまでの自分は大企業コンプレックスがあって、いつか大企業に行きたいとずっと思っていて、それが叶った。

僕の持論というか、母親の言葉で指針にしていることがあって、それは

「なりたいもの、ありたい姿は少し先をぼんやり見据えておけば、必ずその通りになる」

ということ。

遠い先ではなく、手に届きそうなことで、常に何となくありたい姿をイメージしておくこと。

 

じゃあ、一旦そのなりたいイメージが達成できて、その後どこにいくのか?ということを考えたときに「独立する」というキーワードが浮かび上がってきた。

実はこれも、相当昔からずっと思っていたこと。だけど、ずっと残タスクのままだったこと。

この40代は、このことを常にぼんやりイメージしていたいし、そうなれば良いなと思っている。

先述の「マルチ・ポテンシャライト」に出てきた、自分にしかできないルネサンスビジネスを立ち上げてみたい。

そのヒントを、これから数年かけて探していきたい。

 

そんな転機となる2つの出来事があって、内定も頂いた後に、何故か相当悩んだ。

 

今の会社は凄く福利厚生も充実しているし、コロナ前の水準に給与が戻れば収入も悪くない。

世間的なイメージも良いし、グループの中での評判も上々なので、仕事もしやすいし、結果も出しやすいし。

今の仕事を続けて、そこで培った人脈から起業する手もある。

読んだ本の中には、安定した仕事について副業でやりたいことをするという生き方指南をしている本もあった。

 

もう一つ、自分が辞めることでのインパクトも相当大きいだろうと思ってもいた。

先述の役員なんかは、完全に自分を手駒にして他の会社との交渉材料にしようという魂胆が明け透けだったし、

そうでなくても客観的に見て結構インパクトあるよなぁと、自分でもその認識があった。

妻の両親も反対していた。(そこに毅然と戦った妻には本当に感謝ですが)

 

そこまでの覚悟を持って辞めることができるのか。

 

オフィスの見学にも行った。

今の会社は、おじさんばかりだが、次の会社は服装も自由で若い人たちが活発に働いている。

奇抜な格好をしたエンジニアらしき人が、会社のフリースペースで働いている。

その時に、もう自分の腹は決まっていた。

 

今の会社は、多分、どこかで必ず辞めることになる。

少なくとも、50歳や60歳でその会社で働くイメージが全く湧かないし、その会社の50代・60代にロールモデルとなるような人が居ない。

50を過ぎてもあくせく組織間の調整、政治的なマウントの取り合いに奔走している人ばかりだ。そんな仕事には全く価値を感じていない。

それであれば早く辞めて、他の道を探した方が良いと思った。

 

そして、その先はベンチャー企業だということも確信できた。

僕は、新卒でベンチャーに入ったし、2社目・3社目も中小企業。

そのような会社では、個人の働きが組織・会社の動きにダイレクトに直結するし、そんな環境でこそ自分の器用貧乏は価値を発揮する。

それに、やっぱり、僕はあの空気感が好きだった。

福利厚生も、ブランドも、何も無いけど、新しいことを生み出して本当に皆一生懸命。

自分の原体験に、あの時の「働く」が残っているから、大企業に入って要らぬ苦労もめちゃくちゃあったけど、業務面では十分通用するし、自信も持てた。

 

そんな感じで悩んでいたけど、ほぼ自分の心の中では決まり始めたころに、

うちの父親がとんでもないことを言い出した。

「迷った時はな。紙にYES/NOの十字を書いて、五円玉をヒモに通してその紙の上に垂らして念じるんだ。どっちに行った方がいいかと・・・。そしたら、五円玉が勝手に動き出す・・・差した方向が、自分の深層心理だから」

この大事な場面でオカルトかよ!と思わず笑ってしまったが、いや、これが自分の親父なんだなと改めて思った。

 

上司に、退職の旨を伝えるその日の朝。

いつも行っている神社の境内で、一人そのオカルトをやってみた。

これも本当に笑えるんだけど、ちゃんとそのベンチャーに行きたいと差してくれた。

 

退職の意図を話す過程は、体験として結構面白かった。

社内外問わず誰もがめちゃくちゃ驚くし、「ああ、やっぱりそういうリアクションだよね」と客観的にその現象を見ていたし。

それ以上に興味深かったのは、噂の広がり方。

ここまでは行ってて、ここはまだなのね。みたいなことが、本当に言ってみないと分からなかった。

転職も4回目だけど、これまでの3回は辞めることにカジュアルな職場だったので、非常にスムーズでしたが、やはり大企業となると結構プロセスを経るもんだなぁと思った。

 

また、そのリアクションも多岐に渡っていて興味深かった。

結構印象に残っている言葉がいくつかある。

・皆一様に、「残念だけど、君の人生だし決断だから」と言っていた。

自分だったらそんな言葉をかけるかなぁ?とも思った。少なくとも、残念とは言わない気がする。おめでとうでも無いけど、素直にその決断は間違ってないというようなことを言いそうな気がする。

・ある人は、年齢を聞いて「ああ、その年齢だったらその選択は正解だよ」とも言っていた。

これは結構自分的には新しくて、普通は35歳限界説みたいなものが自分もあると思っていたし、

40で転職はキツくない!?というのが普通の反応だと思っていたので

・「転職できるってのは羨ましい」ということも言われた。

これも結構斬新で、終身雇用前提だとそういう発言も普通になるよなぁと思った。

結局自分は最初の会社がベンチャーだった時点で、もうそのような発想は根本的に無いんだなと思った。

・「結局、人生楽しんだもの勝ちだから。その選択は間違ってないよ」

この言葉は、ハッとさせられた。高校の卒業アルバムに、恩師が書いてくれた一言「楽しく生きたまえ」だったり、自分が以前作った曲でサンプリングした村上龍の「69」のセリフの一説に「人生、楽しんだもん勝ちばい!」というものがあったり。

 

そんなこんな、退職騒動を経て自分の中で芽生えてきた思いがある。

それは、「自分らしさの復興」だ。

 

退職することで、自分は社会の中で生かされているということを十二分に理解したし、

ここまでの覚悟で辞めたんだから、自分らしさを追求するしか無いじゃないかと。

他の会社に行って、いまと同じようなことやってたら、今の会社の人に申し訳ない。

辞めたからには、羽ばたきたい。

 

僕はいつの間にか、大学生の頃に持っていた自分らしさを閉じ込めて、抑圧して生きてきた。

たまにハミ出る「自分らしさ」を好んでくれた人もいたし、なんかもう40歳だし、そろそろまたそこに少し回帰したい。

自信を持って、生きていきたい。

 

そのためのフィールドが、次の会社にはきっとあると思っている。

無ければ、自分がそのように歩むことで周りを感化していきたい。

 

先週末行われたオンライン送別会で、なぜか年配の方が、ちあきなおみの「矢切のわたし」をYoutubeで流し始め。

そのカオスな展開はさておき、終わりの一節にある「明日へ漕ぎ出す 別れです」というフレーズ。

いや、それなんだよなぁと、感慨深くなってみたり。