2024年頭所感

今年の年末年始休暇も終わった。

そもそもの期間も短かかったし、ずっと家に居てほぼ子供の世話しかしてないから、全く休めた気がしない。

 

けど、何故か、とても良い、年末年始休暇だった。

 

実家にも帰ってない。

おせちも食べてない。

箱根駅伝も、紅白も見てない。

初売りにも行ってない。

まとまった時間で、考え事したり本を読んだりもしてない。

 

なのに、妙な充実感がある。

 

その理由は何なんだろうか?と考えると。

多分、1月1日が、とても充実していたからだと思う。

 

その日、僕は朝6時に起きてランニングウェアを着て、初日の出を見に近所の田んぼへと走り出した。

静謐な朝焼けの時間。

目当ての橋の上には、すでに何人かの人が居た。

そろそろ朝日が昇る頃。だけど、その橋を過ぎて、もう少し眺めの良い場所を探す。

高台は無い。

だから、田んぼのど真ん中を確保した。

 

風がめちゃくちゃ強いし、汗も冷えてきて寒くなってきた。

そんな中で、極上の初日の出を見ることができた。

これまでに見たことのない、とても美しい日の出。

それを見れただけで、この年末年始休暇は最高のものになった。

 

それに拍車をかけたのは、その日、息子と公園に遊びに行って、しこたま動いたこと。

連日、ふるさと納税やら親からの仕送りで美味しい自宅ご飯を食べれたこと。

かわいい赤ちゃんとスキンシップできたこと。

そう、大好きな家族と、時間を過ごせたこと。

 

たったそれだけなんだけど、振り返るととても良い休暇だった。

全然休まってないし、何なら早く会社が始まった方が自由を感じれるんだけど。

 

そんな中で、昨年末に酔っ払って書いたエントリーの最後、今年の抱負とか書いてあって。

酔ってたとは思えないほど、自分でも良いことが書いてある。

 

特に「子どもの成長こそが、今という時間の全て」という言葉。

 

いや、この年末年始に特に感じたけど。ほんとそれなんだよなぁ。

 

結局、今という時間は自分にとって過ぎゆく瞬間の連続でしかない。

この歳になれば、すごい刺激があるわけでもなく、ある意味人生の安定飛行に入ってる状態でもある。

毎日楽しいし、辛いこともあるし、痺れるシーンもあるし、チャレンジや冒険もあるけれど。

その結果として、自分が何を残せているか?というと、子ども以上のものは残せないわけです。

 

結局仕事で残せるものは、時間と共に風化していくものばかり。

流れていく時間、それは自分の人生が確実に摩耗していく時間。

その中で唯一確実なのは、自分が仕事で何かを残せる、ということ以上に、子どもが成長するという事実だけだ。

 

これは、圧倒的に確実。

そして、その時間は二度と戻ってこない。

 

自分は人生において、「何かを作ること」を最も大切な価値観であると捉えている。

それであれば、その最優先事項は、子どもの成長であることは自明だ。

 

だからこれからの人生において、自分の仕事の都合で子どもに負担や迷惑をかけること、可能性を狭めてしまうことは極力排除したい。

子ども優先、仕事優先とかではなく、子どもが大前提にある中で、どれだけ仕事できるか、ということ。

これは貫きたい。

そうで無いと、自分の生きる意味や価値観をないがしろにしてしまうことになる。

 

そんなことを考える2024年頭所感でした。

2023年振り返り

昨年も全く同じこと書いたけど、今年も全く年末感がないです。

というか、昨年以上に、これまで最大で年末感が無い。

 

その理由は、

・息子がインフルになって、年末のクリスマスイベントが全て吹っ飛んだ

・義理の父がコロナになって、嫁の実家に帰省できなくなった

・僕の実家も、両親が旅行に行く関係で帰省できなかった

 

というわけで、これまでの人生で初の、実家に帰らない年末年始。

 

かつ、12/28まで勤務して、1/4から仕事始め。

営業の部署に来たし、管理職にもなったからなんとなく休めない。

さらに、年末年始にやらなくてはならない仕事もある。

 

さらにさらに、今年の正月は0歳、4歳の2人の子どもがいる。

 

ということで、年末のゆったりした。

さて、一年の振り返りとか、新年の抱負とか考えてみたり。新しい本を読んでみたり。

みたいな時間が皆無!

ランニングすら行けない。

もちろん、1人でゆっくり考え事する時間も皆無。

 

でも、不思議と心は平穏なんですよね。

 

この一年、振り返ってみると、多分、いや絶対に2022年より確実に良くなっている。

・23年。マーケに移動して、そこそこの実績は出せた。新しいサービスも生み出せた。そこそこ会社に慣れてきた。

・かわいい第二子が無事産まれてきた。育休3ヶ月取って、全うした。多分、後にも先にも無い。一度きりの長期職場離脱。

・新しいチャレンジで、セールスの管理職をすることになった。新しい部下ができた。セールスの一員に、ようやくなれた気がする。

 

いや、振り返ってみると、これ100点でしょう。

細かい失敗や、妻にも起こり散らかされたけど。

でも、よくやったと思う。

 

で、来年どうしよう、という話なんですが。

とりあえず今の頭の中を思いのままに書いてみる。

 

・セールスのマネジメントは初めてだけど。そもそも自分がセールス見るとどうなるのか?自分自身が想像つかない。3ヶ月後、半年後どうなってるか分からないけど、セールスやると必ずマーケにも足しになるし、まずはやってみよう。自分でも予想がつかないんだけど、なんとなくうまくやれそうな気がする。

・作るだけだとつまらない。売るだけだとつまらない。作って売って、作って売ってを繰り返したい。そういう意味だとインサイドセールスは面白いポジションだぞ

・マーケでキャリアを作っていくつもりもないし、営業でキャリアを作るつもりもない。僕がやりたいのは、ブランドを作ること。マーケと営業、両面からブランド作りたい

・ドラマがある仕事

・42歳。好き勝手やらせてもらう

・僕も20代や30代の頃はビクビクしながら歳を取っていたけど。40代は楽しいよ

・悩んでいる事を表に出したい。迷いなく決断してうごかすタイプじゃ無い

・とにかく、音楽的な充足感があれば、自分の人生は楽しい

 

と、色々書いてきましたが。

2024年は、こんな事が抱負でしょうか。

 

・職場を、もっと楽しむ!

・晴れた心を保つ。なるべくシンプルに

・酒はなるべく控える

・子どもの成長こそが、今という時間の全て

 

 

 

41歳になっても、まだまだ足りないとこばかり

ここ最近、仕事が少し落ち着いてきてしまっている。

育休から明けた勢いでスタートダッシュを切り過ぎたのかもしれないけど、やや減速気味。

自分に欠けているところもたくさん見えるようになった。

 

やっぱり、①数字の計画を立てて、改善していくような動きが苦手。

皮算用でざっくり目標決めても、絵に描いた餅。

実際にそれをどうやって達成していくの?が無い。

 

あとは、②人を動かすのも苦手。

人をその気にさせることはできるけど、具体的な行動にまで持って行かせることが弱い。

 

一方、大きな方向性を提示して、腹落ちさせるのは得意。ということもわかった。

 

リーダーシップはあるが、マネジメントが出来ない。というタイプなんだろう。

だから、マネジメントを身につけたら強い。

 

大きな絵を見せて、さらに人も動かせたり具体的なロードマップも見せることができるからだ。

 

まず①については、数値目標を決めて、ブレイクダウンしていく。

そして、その数字を達成するための仮説と検証を行う。これが施策。

そのPDCAを高速で回していく。

多分。これが改善を進める上でのステップ。

 

②については、これも結局人の話で。

嫌われようが、うざがられようが、しつこく人に働きかける。

あらゆる手を使う。

人が動く理由は割と単純で、楽しいかどうかなんじゃ無いか。

 

自分の成績を必ず達成させる、ということは確かに大切だが、楽しめば動く。

 

11月は、この2つをやり切ってみよう。

自分にならできる。というか、これは自分にしかできない。

 

自分にしかできない仕事が何か、を少し掴みかけている。

 

事業プロデューサー。

なんで、それになりたいのか?

大きな事業はしたくない。こぢんまりとしたものが良い。

多分まずは、そこで成功体験を作りたいんだろう。今。この仕事をまずは成功させる!

 

今は戻ってこないから

週末に子どもと過ごす。

4歳と0歳の子ども。

 

公園に行ったり、習い事に付き添ったり、外食したり。

何でもない日常が過ぎていく。

 

今日は、祖父母と外食して、芋掘りに行って、お祭りに行って、祖父母の家に少し遊びに行った。

迎えに行くと、帰り際に、

「じいじ隊長!ではまた今度!」と言って、手をおでこに当てて敬礼。

その後自転車に乗り込もうとした時、おもむろに祖父に抱きついた。

その後、祖母にも抱きついた。

 

ではまたね、と言って自転車に乗り込み家路に就く。

 

雨が降りそうな夕暮れ。

街は赤く染まって、公園には多くの親子が遊んでいた。

 

今は、もう戻ってこない。

子どもも、多分今日のことはすぐに忘れる。

家に帰ってきたら、何事もなかったかのようにウルトラマンを貪るように見ていたから。

 

僕も歳を取る。

息子も歳を取り、妻も祖父母も歳を取る。

今は、もう戻ってこない。

 

そんな素晴らしい今日という日が、過ぎ去っていくのは仕方がない。

だから、全力で今日を生きようとするんだけど、そんなに頑張れない。

というか、全力で子どもを愛する、今の時間を1秒たりとも無駄なしないなんて、どうやって良いか分からない。

 

子どもだって、妻だって、多分そこまでは望んでない。

今という日が過ぎて、その日が良い日だとしても、そうでなかったとしても思い出は作られていくのだ。

 

この無常の流れに抗う唯一の方法は、多分、自分自身が元気に過ごすということなんじゃないかと思う。

今に集中するためには、よく寝て、よく運動して、ストレスを溜めないことだ。

だから、酒飲んで夜更かしして体調悪いまま日々を過ごすのは本当にもったいない。

 

子どもと過ごす時間こそ、体調を整えて、その時間に集中できる自分を保っておきたい。

休みだから酒飲む、は勿体ない。

平日だから酒飲む、だと仕事に支障をきたす。

 

じゃあいつ飲めば?の答えは、人と飲む時だけにするということなんだろう。

いつかまた戻ってしまうかもしれないけれど

復職して2週間。

3ヶ月も休んでいたら、いつの間にかそれが日常になり、働く事が特別なものになる。

今は、まだその特別感が続いている感じ。

 

部署も変わったし、やる事も変わったからフレッシュな気持ちで仕事に取り組んでいる。

率直に言うと、めちゃくちゃ楽しい。

 

多分、これからどんどん仕事が忙しくなって、仕事を楽しむ余裕も消えていくのかもしれない。

だけど、この仕事が楽しい感覚はなるべく忘れたくない。

 

休んだことで、リセットされたこともたくさんある。

また元に戻るかもしれないけど。

 

酒も飲まなくなった。一人で飲んでもつまらないし、なんと言っても翌日疲れる。翌日を犠牲にしてまで飲みたくない。お酒は、誰かと飲むものだ。

 

会社でマスクしなくなった。育休中に、隣の家の奥様が、ほとんど家から出てないのにコロナになっていた。アホらしいと思った。会社に行っても、マスクしてるのは本当に数%程度。もう、マスクなんかしてる時代じゃなくなってた。

 

ゲームがストレス解消に良いことが分かった。以前は時間の無駄だと切り捨てていたが、育休中に映画やマンガに加えてゲームもしてみた。甘いものを食べるのと一緒で、罪悪感があるからストレス解消になる。

 

 

もっと、わがままになる

今の会社に入って、定期的にフィードバックを得る機会があるのですが。

つい最近フィードバックを受けたことで、凄く印象的で、かつ自分を変えられるかもしれない一つのキーワードに出会った。

 

それは、「もっと、わがままになる」ということ。

 

自分であるがまま=我がまま=わがまま、である。

 

今の会社に入った時に、「自分らしさの復権」という言葉で、これからの自分の人生を変える一つの転機にしたいと思っていた。

何故、この言葉を据えたのか。

当時色々思うことはあったと思いますが。

多分、学生時代の自分は世間に唾を吐いて、だけど就職活動で嫌が応にも世間に屈服させられて、辛酸を舐めながらも社会人になって。

でも、自由奔放な先輩方が優しく育ててくれて、仕事の面白さを知った。

けれど、生意気だった僕は常に自分の世間的な評価に不満を感じていて、上へ上へと行きたがっていた。

仕事ができるようになりたいし、頭良く見せたいし、自分の提案を通したいし、うまいこと切り抜けたい。

今思い返せば、負のコンプレックスが成長の原動力だったし、常に自分はもっと評価されるべきだと思いながら仕事をしていた。

徐々に徐々に、そのコンプレックスは払しょくされて、自分なりに今の会社に来た時点で禊を済ませた=ようやく自分らしさに目を向ける時が来た。

原点回帰で、自分をさらけ出すタイミングが来た。と思っていた。

 

けど、結局この1年、仕事の仕方を変えられなかった。

 

自分は、常に不安で、不満だった。

休日も、寝る前までも、ずっと仕事をするべきだと思っていた。

それが今の会社でバリューを出す方法だと思っていたし、周りに「できない人」と見られないように一生懸命つくろった。

 

多分、コロナでリモートになり、自由な飲み会やイベントの参加が規制されたことも影響していた。

 

段々と、自分を制御することに慣れてしまっていた。

飲み会に行くと、翌日必ず自己嫌悪で何度も抗原検査やPCRを受けに行く。

実家に帰った時も、両親がコロナだったらどうしようという思いで喉が痛くなるまでうがいをし続けたり、鼻うがいをしていた。

屋外でも、マスクをしていない人とすれ違う時には息を止めたりする。

電車の中で咳をしている人がいても、息苦しくなるまで呼吸を止める。

一種のノイローゼのようになっていた。

 

テレビも全く見なくなった。

テレビを見る時間は、無駄だと信じ込んでいた。

 

映画も見なくなった。

2時間なんて、ほかに何か使えることがあるんじゃないか。

 

毎週行っていたサウナにも行かなくなった。

ライブやイベントも行かなくなった。

 

すると、あれほど好きだった音楽が、突然何を聞いても全く面白くなくなった。

酒を飲んでも楽しくない。

 

なんでだろう、と、全く理由が分からなかった。

 

その理由が氷解してきたのは、本当に最近のことだ。

 

ひとつは、コロナに対する意識が少しずつ変わってきたことだった。

先日、コロナが広がって以降、初めてハーフマラソンに出たのですが、ノーマスクで、密になって2時間走った。

半分はマスクをして走ったが、後半はさすがに息苦しくてマスクを外した。

マスクを外して多くの人と走ったことが、自分的には大きかった。

そして、コロナが5類に移行するということも影響した。

自分の中での洗脳が解けたというか、多分もうずっとコロナから逃げ続けることはできない。日常を取り戻していくしかない、と思い始めたことだ。

 

子どもができてから、コロナになってから。

自分を制限することに慣れていたし、それは得意な方だった。

 

家事をテキパキとこなし、「やっておいたから」アピールをする。

それは、「自分、頑張ってる」「制限している自分を、褒めてほしい」ということだったように思う。

 

食べたい夕飯もない。行きたい場所もない。見たい映画もない。聞きたい音楽もない。

仕事でも、自分の主張が無い。やりたいことはない。組織の課題に気づかない。

 

誰かに決めてもらいたい。

自分は、自分を制御することで価値を出す。主張することなんてめんどくさいし、周りにどう思われるかわからない。

 

自分が無かった。

いや、本当は自分があるのに、自分を制御して押し殺していた。それが楽だったから。

 

食べたい食事を食べよう。毎日、安いから立ち食いソバ、なのではなくて。

好きなコップでコーヒーを飲もう。

聞いたことのないレコードを買ってみよう。

家族になんて言われるかわからないけど、それを朝食の時にかけてみよう。

 

ソファに座って、テレビをつけてみよう。

休日は仕事を一切しないでおこう。

好きな服を着よう。

ビジネス本ばかりではなく、小説も読んでみよう。

妻の料理を手伝ってみよう。

旅行先を決めるのに3時間くらい悩んでみよう。

 

無駄だと思っていたこと。

どうせ自分は大したレベルじゃないと思っていること。

タスクをこなすことに躍起になること。

 

もっとルーズになる。

まじめすぎる自分から離れてみる。

 

本当は、何したい?

 

そんな新たな旅が、始まろうとしている。

だけど、今、なぜかいつもより前向きな自分がいる。

 

40代は、わがままに生きる!

2022年の振り返り

あと4分で2022年が終了する。

 

今年の年末は、あまりにも「年末感」が無かった。

今の会社は7月始まりなので、まさに1月からがQ3の折り返しであるという事。

気温が温かく、あまり正月っぽくない事。

忘年会が一つも無く、旅行にも行かず、年末らしいことを一切していない事。

 

色々あると思うが、間違いなく言えるのは、40歳にもなって感受性が乏しくなったということだろう。

 

昔は、年末は得も言われぬ緊張感があったというか、なんか名残惜しく過ぎていく年を思い返したりしていたり。

新しく来る年に向けて、ふつふつと野望を抱いたりしていたような気がする。

 

と言いつつ、こうして今年も嫁の実家にお邪魔して、ゆっくりして、走ったり本を読んだりして、こんな感じで一年を締めくくっている訳なので、例年通りという気もしなくもない。

 

しかし、自分のモットーとして、必ず1年の中で「これをやった」「このことに挑戦した」と言える何かを、必ずひとつは作ることにしている。

2022年のトピックスとして最も大きいのは、間違いなく転職だろう。

 

転職して10か月を振り返ってみると。

最初の4か月は絶望しかなかった。

でも今となっては、未だに自分がしている仕事に自信は持てていないんだけど、仕事や職場が好きだという気持ちは芽生え始めている。

 

なんだろう。こんな職場にこれまで居たことが無かった。

 

周りにいる人が、全員真剣にお客さんのことを考えていて、政治的なとか、忖度とかで一切動いていない。

部署を超えても、「一緒に頑張ろう!」みたいな回答が来て。

めんどくさい相談にも、必ず答えてくれて。

 

これまでの職場だと、まず新しい話を持っていくとめんどくさそうな顔をされ、つべこべ言われて企画は通らないし、あれこれ修正が入るし。

今思い返しても気が滅入るくらい、「これ、誰のための仕事?」というものが多かった。

そういうストレスが一切ない。

 

もちろん、プレッシャーはめちゃくちゃあるけど、以前の職場に比べて圧倒的に心の充足感がある。

協力的な人が職場に沢山いるという事実に、たまに涙が出そうになる。

 

上司も、ヤバい。

愛想は無いし、正直苦手だけど、言う事がめちゃくちゃ正論だし、凄く顧客価値を第一に考えていて200%共感できることしか言わない。

だから、厳しい言葉をもらっても、凄く嬉しいし、ひとつひとつが刺激になる。

そんな人、これまでに全くいなかった。

 

安住の地を離れたことによる不安は、正直ある。

退職金も無い、福利厚生も無い。

そして、ずっとこの会社で定年まで働くことは多分ない。

 

そんな一歩を踏み出した。

けど、その一歩目は、間違いなく正しかった。

今の会社に転職出来て、心底良かった。少なくとも、自分がこうありたいという姿に、一歩近づくことができた。

 

自分がこうありたいと思う姿。

前の会社から転職する時にうっすらと考えていたのは、1年目は仕事に没頭して、2年目から副業を始めて、徐々にその副業を広げていく、そして3年経ったらある程度副業で稼げる目途が経っている、というものだった。

 

ぼんやりとではあるが、ずっとその思いは消えていない。

まだ副業のネタも決めてないし、見つかっていないけど、ずっと頭の片隅にある。

「一歩近づくことができた」と書いたのは、自分の目指す姿において、ずっと「自分で作ったものを、自分で売りたい」という想いがあった。

それは、お客様にどのような価値を提供できるのか?を真剣に考え、自信を持って提示できることだと思うから。

その考え方の「様式」を、今の職場では学ぶことができている。

 

だから今は、もう少し自分の仕事で走り続けたい。

新しい仕事を任されていることもあるが、何と言っても吸収できるインプットの量がとても多い。

新しいことの発見ばかりで、まだまだ知りたいことがたくさんある。

 

副業のことについて考えるのは、もう少し先でも良いかもしれない。

まずは、「お客様に価値あるものを提供する」とは、どういうことなのか?自分なりに熱意を込めて探索していきたい。

 

そんな2022年の終わりでした。

 

2023年の抱負は、また明日書こうと思うけど。

今色々書いていて気付いたのは。

「年末感」が無いことの、実は最も大きな要因は「心の火が燃え続けているから」なのかもしれない。

これまでは本当に、仕事に追われて、年末に逃げ込む感じだったけど。

沢山本を読んだり、考えたり。前向きに年末を過ごしている気がする。

 

2022年、幸せでした!